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1961~1972年

第5章 高度成長とモータリゼーションの中で

第5章 高度成長とモータリゼーションの中で 1961~1972

第1節 株式公開と社長交代

第1話 株式公開

1961年5月1日、創立以来30年にわたり石橋家が保有していた当社の株式が、初めて東京、大阪の証券市場に店頭銘柄として登場しました。
当社は創立以来、内部資金の利用に重点を置き、配当による外部流出を抑え、内部留保の充実に努力してきましたが、経営規模の拡大とともに、内部資金に重点をおいた財務政策だけでは、巨額の設備投資資金を調達することが困難となってきていました。 石橋社長ら首脳幹部は、当面は銀行借入れに依存することができるが、健全な財務比率を維持するには自己資本の増大が必要であること、しかし増資は巨額に上ることが予想され、石橋家の増資新株引受けだけでは対応できないと判断しました。また、敗戦後の財閥解体の体験から、公器である企業の株式を一家族が保有することに対する疑問も意識されるようになっていたのです。
こうして1961年5月1日に当社の株式が店頭公開され、1株330円で売り出された株式は、その日のうちに1200円という記録的な高値をつけました。これは当社の健全経営と成長性、未知の魅力に対する投資家の評価を反映したものといってよいでしょう。

第2話 社長交代

1963年2月石橋正二郎は、取締役社長の地位を副社長であった長男幹一郎に譲り、代表権のある取締役会長に就任しました。
石橋正二郎は74歳になっていましたが、社長交代は年齢が理由ではなく、「経営第一線からの後退を意味しない」と明言し、最高責任者として社業の大網を見続ける立場をとりました。43歳の新社長の登場は、石橋正二郎の「経営陣を拡充強化するために若いエネルギーを極力取り入れる」という方針を象徴するものでした。
石橋幹一郎新社長は、社員に対する挨拶文の中で、「私はつねに若い気風が全社に満ちあふれ、議論に走らず現実に妥協せず、各自深く考え、速く実行の態度をもって邁進するようにしたい」と表明しています。

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