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2000~2006年

第10章 苦闘を糧に、将来に向けた事業基盤の再構築

第10章 苦闘を糧に、将来に向けた事業基盤の再構築 2000~2006

第1節 米州事業の再建と社内体制の整備

第1話 社長交代─海崎社長から渡邉社長へ

渡邉社長の就任

2001年3月、海崎社長が代表取締役社長を退任し、専務取締役を務めていた渡邉惠夫が新社長に就任しました。渡邉新社長は、海崎社長時代に財務体質の改善が図られたことや、タイヤ・化工品の両分野でグローバル化が進展したことを受け止め、所信表明の中で4つの抱負を挙げ、課題の解決に取り組みました。

4つの抱負
  1. 1BFSの再建
    渡邉社長は、「もはやブリヂストンとBFSは一体であり、切っても切れない関係になっている。何としても2年間で再建を成し遂げたい。皆さん、あと2年間、BFSの再建に一緒に全力投球しましょう。そして2年後にみんなで喜び合いましょう」と社員に呼びかけ、その後、後述するさまざまなBFSの再建策を実行しました。
海崎社長から渡邉社長へバトンタッチ
  1. 2社内外からの信頼の回復
    社外、つまり顧客や株主、社会からの信頼回復という点については、「品質」に重点を置くことを表明しました。当社には「最高の品質で社会に貢献」という誇るべき社是があります。渡邉社長は、これを2001年当時の当社にもっともふさわしい社是だと考え、そしてもう一度、この原点に戻るべきだと思い至りました。
    社内においては、「信頼関係のベースとなるのは安全である」という考えのもと、制度の制定やシステムの改善を指示しました。
  2. 3長期的な視点に立って、将来の展望を開く
    当社を永続的、安定的に発展させていくため、会社の将来にとって重要なテーマ、革新的なタイヤ製法の開発、継続的な新規採用や契約社員の正社員への登用、グローバルでの開発技術力強化などにも同時に取り組んでいきました。
  3. 4明るく活き活きとした職場づくり
    渡邉社長は、社内に蔓延していた疲弊感や閉塞感を解消し、「より明るい会社にする」ことを願い、さまざまな施策に着手しました。
    情報のオープン化の一環として、社内イントラネット内に渡邉社長のホームページ「@nabe」を立ち上げ、社長と社員の2ウェイコミュニケーションの場としました。
    更に「人を大切にする、人を育てる会社でありたい」という考えに基づき、社内教育プログラムの充実など、さまざまな施策を展開しました。
    これらの4つの抱負を実現することによって、従業員が誇りを持てる会社にすることを目指しました。

第2話 BFSの再建

BFSでの「Making It Right活動」の展開

2001年4月、BFSの再生プランとして「Making It Right(正しいことを行う)」キャンペーンをスタートさせました。第一弾ではランペCEO自らがテレビCMに出演し、製造現場や小売店を舞台に、自分の言葉で消費者に語りかけたほか、同じ内容の広告を各メディアで展開しました。こうした取り組みにより、キャンペーンは着実に成果をあげ始めました。

米州フォード社との取引停止

2001年5月、BFSは、フォード社との信頼関係が修復困難なレベルにまで崩れたと判断し、100年近く続いた北米・中南米におけるフォード社とのタイヤ供給に関して、現行契約の満了をもって終了することを決断しました。

NHTSAへエクスプローラーの調査を要請

BFSでは、車両のエキスパートとして評価の高い、オハイオ州立大学の機械工学の教授であるデニス・A・ガンサー博士(Dr. Dennis A. Guenther)に、フォード社のエクスプローラーについて、分析調査を依頼していました。2001年5月、ランペCEOはNHTSAに対して、ガンサー博士の分析結果を渡すとともに、エクスプローラーの安全性について調査を開始するよう要請しました。

米国下院エネルギー・商業委員会への陳情

2001年6月、ランペCEOは、米国議会に陳情書を提出しました。米国下院の公聴会でエクスプローラーの問題点を指摘し、事故はタイヤだけの問題ではなく車両との関係が重要であるので、車両も調査してほしいと述べました。

ウィルダネスAT、追加無料交換

2001年7月、NHTSAからBFSに対して、ファイアストンタイヤ76万8,000本の追加リコールが必要であるとの示唆がありました。続いて10月、NHTSAから追加リコールの初期認定が発表されました。
タイヤの安全性に確信を持っていたBFSは、法廷係争も視野に入れていましたが、ユーザーに困惑と混乱をもたらすことを懸念し、また、これ以上NHTSAとの対立を続けて行くことは会社再建を遅らせかねないと考え、顧客の要望に応じて無償交換することとしました。
こうした市場対応をとったことにより、NHTSAは2000年5月に開始したファイアストンタイヤに対する調査を終結しました。

各州の司法当局との和解

2000年8月の自主回収以降、各州の司法長官は消費者保護当局とともに、州をまたがったワーキング・グループを結成し、調査を通じてBFSに対する集団訴訟を検討してきました。それに対して、司法当局との和解は自主回収関連問題の解決を図る上で一つの重要なステップとの判断から、一年以上にわたって各州の司法長官側と密接に調整を図ってきた結果、受け入れ可能な合意案に達することができたことから、2001年11月、司法当局と和解に至りました。

組織再編

自主回収問題にほぼ決着がついたことから、BFSは「Making It Right」キャンペーンの一環として、組織の再編に着手しました。
2001年12月1日付で、BFSを持株会社、及び持株会社傘下の事業会社に分社化しました。持株会社の名称を「ブリヂストン/ファイアストン アメリカス ホールディング社」(以下、BFAH)とし、当社の100%子会社としました。BFAHの子会社として、北米のタイヤ製造・販売を統括する「ブリヂストン/ファイアストン ノースアメリカン タイヤ社」(以下、BFNT)、小売事業やカード事業を統括する「ビーエフエス リテール アンド コマーシャル オペレーションズ社」(以下、BFRC)、タイヤ以外の多角化事業を統括する「ビーエフエス ダイバーシファイド プロダクツ社」(以下、BFDP)、中南米事業を統括する「ビーエフエス ラテンアメリカ オペレーションズ社」(以下、BFLA)などに再編しました。
また、老朽化していたイリノイ州ディケイター工場を2001年12月に閉鎖しました。

販売面の努力

BFSは、2000年10月以降、5,000を超えるタイヤディーラー向けに、草の根レベルでの現地ミーティングを実施しました。「必ず復活させる」との信念のもと、自主回収への理解獲得やBFSの立場説明、サポート依頼などを行いました。11月には、ラスベガスに約3,000のディーラーを集めてミーティングを開催し、更に、ダメージを受けたディーラーに対して支援策を展開するなど、ディーラーの利益を重視した「WIN-WIN」の関係を築く方針を打ち出しました。その結果、離脱するディーラーは1店もなく、結束力が高まりました。
一方、ファイアストンブランドから、ブリヂストンブランドへのシフトも進めました。

BSJ業績への影響

自主回収問題は当社の業績にも深刻な影響を及ぼしました。2001年上期の中間連結決算は、株式上場以来、初めての赤字となりました。株価は2001年9月17日に最安値となる800円を記録しました。傷ついた企業イメージや信用、下落した株価の回復を目的として、IR活動を抜本的に見直し、強力に推進していくこととなりました。

黒字化の達成とBSAHへの社名変更

さまざまな施策と懸命の努力が功を奏し、BFAHは、2002年には黒字化を達成しました。 2003年1月、新たな出発を期し、また企業ブランドとしてのブリヂストンと、プロダクトとしてのブリヂストン、ファイアストンをきちんと区分けするため、社名を「ブリヂストン アメリカス ホールディング社」(以下、BSAH)に変更しました。

フォード社との和解

2005年10月、BFNTがフォード社に2億4000万USドルを支払うことでフォード社との和解が成立しました。
この和解により、5年に及ぶフォード社との対立が終焉し、BFNTは将来のビジネスに集中することが可能となりました。

第3話 企業理念の再構築と、経営姿勢・七つのスタンスに沿った改革

企業理念の再構築と展開

BFSの自主回収問題により大きな打撃を受け、当社の経営は先行きが不安視されていました。2001年は株式上場以来、初の赤字となり、日経プリズムの企業評価や就職人気ランキングでも大きく順位を落としました。こうした状況を脱し、当社が明るく活力あふれるグループとして再生し飛躍していくために、グループ全体が共通の価値観や判断基準を持つとともに、目標を共有し、社員一人ひとりの行動の拠り所となるような、企業理念の再構築に着手することを決めました。
白熱した議論や検討を重ね、2001年末、「ブリヂストン信条」、「経営姿勢・七つのスタンス」、「私たちの約束」、「行動指針」から構成され、創業者の経営理念を継承した新たな企業理念が制定されました。
ベースとなる「ブリヂストン信条」では、グループ全社に共通する「精神」を「信頼と誇り」としました。また、当社の「使命」を、従来の社是を継承した「最高の品質で社会に貢献」としました。

企業理念ハンドブック
取締役会の改革

当社では、新たな「企業理念」を、日常の業務活動において実現していくために、経営と執行の役割を明確に分ける「執行役員制度」を導入しました。この経営システムの改革により、取締役会が機動的に開催でき、より説得力のある意思決定につながるようになりました。

人事制度の改定

当社は人事制度の見直しを進め、2002年3月、成果を上げたより多数の人への動機づけとなる処遇・育成体系に改めた、新たな人事制度をスタートさせました。人材育成面では、新入社員から執行役員まで、部門や職能に関わらず、全従業員に共通して必要な職務遂行力を身につける研修体系「人材育成カレッジ」を開始するなど、階層に応じて、集合研修、自己学習、社外研修、国際化研修などを効果的に行える体系としました。
一方、裁量労働時間と労働時間管理の運用基準、退職給付制度についても見直しを進めました。

AQS21活動の推進

2001年、第10回全社TQM大会の席上、渡邉社長は「製造業の競争力の源泉は『品質による信頼』にあり、『信頼の回復』には仕事のやり方や仕組みを根本から見直すことが必要である」として、「AQS21活動」に全社を挙げて取り組むことを宣言しました。
このAQS21活動は、「品質重視」の思想のもとに科学的手法を活用することを基本とし、すべての企業活動領域において「仕事のプロセスの改善」を継続的に実践していくもので、あらゆる品質を向上させ、社内及び顧客、市場の信頼回復を図ることを狙いとしたものです。
渡邉社長は「当社の体質に合った進め方」を強調し、既存の組織を生かした当社独自のAQS21推進体制を採用しました。その結果、開発期間のリードタイムの短縮やIT活用により業務フロー改革事例などが生まれ、これらを国内グループ関連会社でも展開していきました。

コンプライアンス体制の構築

2003年、法令や社内規則を遵守するとともに、企業倫理に則り、正しい価値観や判断基準に基づいて責任あるビジネスを実践し、会社やブランドに対する高い信頼を築き上げるための責任者として、専務執行役員の金井宏をチーフ・コンプライアンス・オフィサー(CCO)に任命しました。また、専任の推進部署として、コンプライアンス・社会貢献ユニットを設置しました。また、社内と社外の法律事務所内に2つのコンプライアンス相談室を設置しました。

社会活動の推進

当社の企業理念には、「私たちの約束」として、「良き企業市民として、地域の発展に貢献します」と宣言しています。この約束を果たすために、新たな社会活動に取り組みました。

  1. 1ブリヂストンこどもエコ絵画コンクール
    子どもたちに自然環境をテーマにした絵を描いてもらい、子どもたちの目に映る自然を多くの人々が再認識することで、かけがえのない地球環境をしっかりと残していくことを意図して、2003年より「ブリヂストンこどもエコ絵画コンクール」を実施しています。
  1. 2イルカ人工尾びれプロジェクト
    2002年12月、当社は、沖縄美ら海水族館からの要請を受け、原因不明の病気で尾びれの大半を失い、泳ぐこともままならないイルカ「フジ」のため、2003年初頭から人工尾びれを開発するという世界初の試みにチャレンジしました。試行錯誤の末カウリング型人口尾びれの開発に成功、ついにフジは以前の泳ぎを取り戻し、ジャンプできるまでになりました。
    テレビで放映され大きな話題となり、国内のみならず海外からも多くの反響が寄せられ、このプロジェクトを題材にした映画も制作されました。
  2. 3「B・フォレスト那須塩原」
    2005年、林野庁の「法人の森林」制度を活用した環境活動を行うため、社団法人国土緑化推進機構の協力を得て、栃木県那須塩原市に「B・フォレスト那須塩原」を立ち上げ、所轄エリアの森林整備・保全や子どもたちを対象にした環境教育を実施するなど、さまざまな活動を積極的に行ってきました。
    現在は「B・フォレスト エコピアの森」として、森林整備活動を継続して推進しています。
イルカの人口尾びれ
  1. 4WWF・ブリヂストン─びわ湖生命(いのち)の水プロジェクト
    2004年度にWWF(財団法人世界自然保護基金)ジャパンと共同で、琵琶湖の水環境を守るための活動をスタートさせました。滋賀県や琵琶湖博物館、地域社会の方々や地域NGOと連携しながら、彦根工場の従業員がボランティアとして活動に参画しています。
  2. 5ブラスバンド活動
    1955年に結成されたブリヂストン吹奏楽団久留米は、久留米工場と鳥栖工場のタイヤ製造に関わる従業員により構成されています。同楽団は、1970年「全日本吹奏楽コンクール」にて初の金賞を受賞し、今日に至るまで金賞を数多く受賞しています。また、1974年に「久留米市芸術奨励賞」を受賞し、2003年には地域文化功労者として文部科学大臣賞を受賞しました。国内だけでなく、中国やアメリカでも演奏を披露するなど国際的に活動の場を広げ、地域社会との交流を続けています。
  3. 6「タイヤの日」全国一斉安全啓発活動
    日本自動車タイヤ協会(JATMA)では、2000年から4月8日を「タイヤの日」と定め、全国一斉に安全啓発活動を実施しています。当社も「タイヤの日」には毎年、社長自らが陣頭に立ち安全啓発活動を行っています。
  4. 7社会貢献賞の設立
    当社では例年、3月1日の創立記念式典で、社業に大きな貢献をした業績を対象に功績表彰を行っておりますが、2003年からは、新たに「社会貢献賞」を設け、その社会貢献活動を実践した業績を表彰しています。
  5. 8特例子会社「ブリヂストンチャレンジド」を設立
    2004年4月、知的障がい者の雇用機会拡大を目指す特例子会社「ブリヂストンチャレンジド」を設立しました。当社では、障がいを持つ人が一人でも多く働ける環境づくりを進めています。

第4話 長期的な視野に立って、将来の展望を開く

経営ビジョンの策定

2002年、「誇れる会社」とは具体的にどのような会社か、また長期的に当社が達成したい目標とは何かを明確にするため、経営ビジョンを定めました。
経営ビジョンは

  1. 1質を伴った戦略性のある成長を目指す
  2. 2環境変化をビジネスチャンスに変える
  3. 3マネジメントのグローバル化
    を基本方針として、2010年までに、「価値あるNo.1を達成し、誇れる会社」を目指すこととしました。
中期経営方針の策定と対外発表

更に同年、2005年までにグループ全体でどのようなことを実現すべきか、質を伴った戦略性ある成長を遂げるために、事業別の戦略をどうすべきかなどについて定めた中期方針を社内に公表しました。
その後、経営ビジョンと中期方針をベースとして、2005年、2006年と連続して、3ヵ年計画を策定し、初めて対外発表しました。

ブランドビジョンの制定

2002年、「ブランド推進室」が設置され、当社のブランドを再構築し、マネジメントしていく活動が始まりました。
「ブランドビジョン」の中で、ブランドステートメントを「ブリヂストンの変わらぬ情熱。世界のあらゆる場所で、すべての人のそばで、最高の品質で応えること。心を動かす力になること」とし、ブランドメッセージを「PASSION for EXCELLENCE」としました。このメッセージには、「最高の品質こそが、お客様の真の力となり、喜びと感動を与えることができる。ブリヂストンは、そのためにすべての情熱を注いでいく」という意味が込められています。

ランフラットシステムの開発

パンクしてもある程度の走行が可能なランフラットタイヤは、1980年頃から開発が始められました。
当社は1999年、タイヤの両方のサイドウォールの内側に特殊な補強ゴムを用いることにより、走行中にタイヤの充填空気圧が失われても車両を支えて一定距離を安全に走行できるSSR(Self Supporting Run-flat Tire)を開発し、同年9月、BMW社の「Z8」に標準装着されました。
一方、ドイツのコンチネンタル社は、革新的なランフラットシステムであるCSR(Conti Safety Ring)を開発していました。CSRは通常のリム、通常のタイヤと一緒に、ゴム製フレキシブル・サポートがついた軽量メタルリングを装着するものです。
2002年、当社はコンチネンタル社と技術提携の契約を結びました。
また、2005年、当社はコンチネンタル社と横浜ゴムの両社との技術提携のもとで開発を進めてきた中子式ランフラットシステム「Bridgestone Support Ring」の実用化に成功。トヨタの新型「RAV4」のうち、ヨーロッパ向けに販売される車両への納入が開始されました。このシステムは、軽量のメタルリングとゴム製のフレキシブル・サポートで構成されています。
このように二方式のランフラットシステムを有することになり、車種に応じて提案できる体制が整いました。

技術の垂直統合による材料開発の高度化

当社は、主要原料である天然ゴム、合成ゴム、カーボンブラックについて、分子レベルからの基盤技術を強化する体制を整えてきました。また、技術の垂直統合を志向し、他社対比優位な研究開発体制を整備して種々の新技術を作り上げました。2007年に発売を開始した「ECOPIA」には、ゴム配合の骨格に、全て新材料(高純度天然ゴム、低シス変性BR(Butadiene Rubber)、高反応型新LL(Long Linkage)カーボン)で一新した超低燃費トレッドコンパウンドを採用しました。