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逆境が、成長を促してくれた

上田 藍

  • インタビュー
  • トライアスロン
上田 藍

二度の大ケガとそこからの復活。上田藍選手にとってこれまでの道のりは起伏に富んだものだった。それでも目標がブレることは一度としてなかった。常に前を向いてトライアスロンを楽しむ彼女に神様が贈ったのはさらなる成長というプレゼントだった――。

シーズン序盤に見舞われた、
レース中の大ケガ。

― 2019年はどんなシーズンでしたか?

二つの大ケガが、私を成長させてくれた一年でした。
2019年は2月に南アフリカのケープタウンで開催された、シーズン開幕戦となる大会の優勝からスタートしました。私はレースに出ながらシーズン中の調子を上げていくタイプなので仕上げ切ってない序盤から結果が出たことで「楽しみなシーズンだな」と思っていました。そんな矢先に3月に参戦したアブダビでのミックスリレーで落車し、そのまま病院に搬送されます。診断結果は外傷性のくも膜下出血と左肺気胸。頭を強く打っていたので転んだ時の前後の記憶はありません。

上田選手

まだシーズン前半でしたし、8月の東京2020のテストイベントは間に合う。骨折もなかったのでその時までには治すようにケガと向き合うことにしました。しかし、肺気胸の手術をした際にチューブを入れた箇所の痛みと左上半身の可動域が狭くなったことで、ハードなトレーニングができなくなった。この時、できることができなくなったことへの若干の不安を感じました。そんな不完全な状態でもレースの感覚を失うことの方が怖かったので、コーチと相談しながら4月のバミューダでの世界大会、おなじく5月の横浜大会、6月のリーズ大会とレースに出ながら、リハビリとトレーニングを兼ねて復帰を目指していきました。出場したレース自体は三大会連続のLAP(バイクパートで先頭集団に追いつかれ、競技続行不可となるルール)で完走できませんでした。

こんなに不安で悔しいことはない。
でもその先の楽しみが上回っていた。

― 思うようなレースができないことに対して、どのような気持ちでしたか?

早く結果を出したいという思いとそのための身体ができていないというジレンマを抱えて過ごしていました。それでも8月のテストイベント、そして今年の東京2020オリンピックで結果を残すという目標が自分の中でブレることはなかった。ケガと向き合って今の自分の身体をどう動かすかを考えることで、自分の新たな引き出しを見つけられるのではないか。そのことが、とても楽しみでもありました。こんなに不安で悔しい思いをする状況は過去なかったですが、それを乗り越えたら自分が変わるきっかけを得られるという楽しみが私の中では上回っていました。

上田選手

東京2020オリンピックに向けて
「このままではダメだぞ」と
身体が教えてくれた。

― ケガから少しずつ回復して臨んだ、シーズンの後半はいかがでしたか?

6月のリーズ大会の後は、ヌルスルタンでの世界大会で優勝し、さらに韓国の大会でも優勝することができました。ようやく、それまでのもどかしい思いを払拭することができて、8月には間に合ったな、と。ところが7月のハンブルグの世界大会のラン・ラストスパートで二回目のケガをします。診断結果は左足底腱膜断裂で全治三カ月。私にとっては過去に前例のない大けがでした。8月の大会に出場するのは無理だ、大会に出るよりも治すことを前提にリハビリを進めてほしいと医師に言い渡されます。

上田選手

すごくショックでしたが、足底腱膜断裂がなぜ起きたかを突き詰めると、3月のアブダビのケガが原因だと知ります。私は左肺気胸の手術で左上半身の動きが悪くなっている状態をリハビリで治していたつもりでした。しかしそれは、あくまでも"つもり"だったのです。私の身体は、長い競技人生を送ってきた中で、身体の使い方が上手くなり、どこかが動かなかったらどこかで代用してパフォーマンスを維持することができるようになっていました。言い方を変えれば、常にいいパフォーマンスを出すために身体の弱い部分を強い部分でカバーし、体を騙して使い続けていました。その代用として一番よく使っていたのが左足だった。それで左足が一気に悲鳴をあげて、切れることが稀な足底腱膜が断裂してしまった。このままではダメだぞと身体が正直に教えてくれたのです。

私はケガを前向きに捉えました。あるいは前向きに捉えられるようにリハビリに取り組みました。トライアスロンは、スイム・バイク・ランの三種目のトレーニングをするので、それ以外の補強トレーニングに時間を割くことが難しい状況にあります。しかし私の場合は、腱膜を断裂したことで7月以降のリハビリでは補強トレーニングしかできない状態でした。それで上半身と下半身の連携を強めて、バランスを整えるコアトレーニングだけを毎日行うことにしました。結果、ケガをする前と同じパフォーマンスを出そうとすると、身体がそれ以上のパワー(出力)を出せる状態を作ることができました。重要な選考レースを1つ出られなかったのは悔しいですが、ケガを上手く利用してシーズンの後半には、10月の宮崎の大会と11月のリマの大会で優勝することができました。

東京2020オリンピックに向けて<br>「このままではダメだぞ」と身体が教えてくれた。

二つのケガを経て手に入れた、
ベテランとしての戦い方。

― ケガを乗り越えたことで、レースの戦い方で変化した部分はありましたか?

11月のリマでの大会に出場した時のことです。これまで私はラン勝負になると中盤でロングスパートを仕掛けて先行し、後続を一気に引き離して逃げ切るという戦い方をしてきました。ですが、ケガの復帰後で無理できないという状況だったので、逆に集団の中に入って周りをよく見て、勝負所で仕掛けるということを考えていました。レース中に周りの選手との距離感やどの選手がどのくらいの力を今温存しているのかというのを息遣いから読み取る。それで私が最初にペースを上げ、追いつかせるなどしてその選手の走力をはかる。さらに一段階ギアをあげて追いつかせる選手を5人くらいに絞り込む。そこから揺さぶりをかけながらスプリント勝負になった時は誰が出てくるかを予測し、私のこれまでの経験、引き出しを使い勝負の駆け引きを制する。これはベテランならではの戦い方かもしれません。パフォーマンスを経験が補ったのですね。若い時だったらケガなんて大丈夫だからと無理をして悪化させていたかもしれません。できないというのを認めることができなかった。今はしてはいけないことをちゃんと理解し、現状から逆算してレースを組み立てることができるようになった。この勝ちパターン、成功体験を得られたことは大きな収穫でした。

経験の引き出しを増やすのが練習

もっと勝負できる、もっと成長できる
東京2020オリンピック舞台で証明したい。

― 改めて東京2020オリンピックに向けた思いを教えてください。

オリンピックの悔しさはオリンピックの舞台でしか返せません。やはり負けたままでは終われないという思いが、いい時も悪い時も私のモチベーションになっています。自国開催となる東京2020オリンピックは、今まで長きにわたって応援して下さっている方と私自身、特別な思いのこもった大会です。私はロンドン2012オリンピック、リオ2016オリンピックのどちらも39位という順位でした。もっと勝負できると思っていたのにできなかった。その勝負できなかった理由が伸びしろだと思って挑戦し続け、この4年間成長を感じながら今があります。さらに変わっていくきっかけを2019年に得て、2020年を迎えています。まずはしっかりと選考レースを乗り越えて、トライアスロンの本番までに最高の準備をしたい。今日も含めて一日一日を大切にし、四度目のオリンピックなので妥協なくやるべきことを常に自分に問いただしながら、悔いの残らない準備をしていきたいと思っています。

上田選手

PROFILE

上田 藍

上田 藍AI UEDA

1983年京都府出身。155cm、44kg。4歳から水泳を習い始め、中学時代は水泳部に所属し、冬は陸上部の駅伝メンバーとして活動。高校時代は陸上部に所属。高校3年の夏、それまでの競泳と陸上の経験を活かしトライアスロンの道へ進むことを決心。そして2016年。リオデジャネイロにて3度目の出場となるオリンピックでの金メダル獲得を目指す。

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    上田藍 インタビュー #1 | トライアスロン

    上田藍 インタビュー #1 | トライアスロン

    3度目のオリンピックで金メダルを目指す上田選手の挑戦の旅とは。

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