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小林幸平

  • インタビュー
  • パラバドミントン
小林幸平

2015年に車いすバスケットボールからパラバドミントンに転向した小林幸平選手。初めて出場した国際大会ではメダルを獲得し、以降も順調に飛躍。東京2020パラリンピックでも大きな期待が寄せられていた。
しかしハードなトレーニングが積み重なったことから、2020年に入って背骨を損傷。現在は競技に向き合えない日々が続いている。
怪我を抱え、葛藤の最中にいる小林選手が、今の心境を話してくれた。

猛練習したドロップショットが決定打に、
格上相手に勝利しメダルを決めた瞬間

2015年にパラバドミントンに転向して以来、小林選手は驚くほど短期間で飛躍的な成長を遂げてきた。特に印象に残っているのは、パラバドミンを始めてからたった5ヶ月ほど経った頃に出場した国際大会だという。

「パラバドミントン選手としては初めて参加する海外の試合だったのですが、そのダブルスの準々決勝で勝ってメダルを取れたことは、とても嬉しかったですね」。

勝利に追い風を吹かせたのは、腕力という自身の武器を逆手にとったドロップショット戦術。それは、妻であるパラバドミントンの小林悦子選手との地道な練習の賜物だった。

「もともと自分は腕力があったので、"クリア"という、球を遠くに飛ばすショットは得意でした。そのため大会前には、遠くに飛ばすと見せかけてコートの手前に落とすドロップショットだけを妻と一緒にひたすら練習していたんです。準々決勝の相手は台湾のベテラン選手でパワーや技術も自分より格上。自分のパートナーもベテランでレシーブ力、相手のショットを拾う力が強かったから、『自分がターゲットになってやられる』と、日本チームのメンバーも自分自身も思っていました。ところが試合が始まると、練習していたドロップショットが2、3回続けて決まった。きっと相手は自分がクリアするかドロップショットするかが分かりにくかったのでしょう。その後は全てベテランのパートナーに球が集まるようになった。その試合を会場で見ていた日本チームのメンバーは様子がおかしいとザワつき出して。結局そのままの流れで勝つことができました。一生懸命に練習したショットがうまく決まって勝てたのはラッキーだったし、嬉しかったですね。パラバドミントンをやる喜びをすごく感じた瞬間でした」。

小林幸平選手

順風満帆な競技人生に立ちはだかった、大きな困難

以来、ブリヂストンの社員として、1日の半分は工場で勤務、そしてもう半分はトレーニングに費やし、競技へと邁進する日々を送っていた小林選手。強化選手にも指定され、日本一を決める大会で初優勝を果たし、東京2020パラリンピックでの活躍も大いに期待されていた。そうした中、2020年に入って見舞われたのは、背骨の怪我(炎症・損傷・激痛)だった。

「東京2020パラリンピックに向けて取り組んできた中で怪我になってしまったこと、そして代表選考の大会への出場を諦めなければならないことには、やはり悔しい気持ちがあります。怪我の程度も重く、なかなか競技に戻ることが難しい状況の中で、復帰を目指すのか、別の道を歩むのか、今まさに葛藤の最中にいます」。

小林幸平選手

応援してくれた全ての人に、恩返しができるように

困難な状況の中で、なんとか前を向こうともがく小林選手。
改めて、彼にとってのパラバドミントンとはどのような存在なのだろうか。

「海外の選手や、普段会えないような人たちとの新しいつながりをたくさん作ってくれたのは、パラバドミントン。僕にとっては、新しい世界の扉を開いてくれた大切なものです。考えてみれば、スポーツを仕事にできている状態というのはとても恵まれていますよね。でも、そのスポーツ人生が終わった後にどうするか。競技を一生懸命にすればするほど、5年後、10年後の自分が何をするかを自然に考えるようにもなりました」。

そして、これからのことについて考えを巡らす小林選手にとっても、一つだけまっすぐに見据える未来の展望があった。

「ともに歩んでくれている妻はもちろん、応援してくださっている人、日々刺激を与えてくれたパラアスリートの仲間たちには、これから恩返しをしたいですね。具体的なことはこれから考えていきますが、自分がそうしてもらったように、ブリヂストンの社員として、夢に向かって挑戦するアスリートたちを全力でサポートをしていきたい。これだけは、確かなことです」。

小林幸平選手

PROFILE

小林幸平

小林幸平KOHEI KOBAYASHI

1979年福岡県朝倉市生まれ。2007年(株)ブリヂストン入社。17歳のとき、交通事故で脊髄を損傷し車いすの生活となる。パラバドミントン選手である妻・小林悦子さん(パナソニック所属)の影響で、2015年3月よりパラバドミントンを始める。急成長を遂げ、国内外の大会で好成績を残している。第2回日本障がい者バドミントン選手権大会でシングルス準優勝、ダブルス3位。

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