サイト内検索

自転車は僕自身を形成してくれたもの
長い歳月をかけて、やっとひとつの目標を叶えられる時がきた――

長迫 吉拓

  • インタビュー
  • 自転車競技・トラック
長迫 吉拓

4歳の頃からBMX(バイシクルモトクロス)を始め、自転車競技歴27年目を迎える長迫吉拓選手。パリ2024オリンピックはトラックのチームスプリントでの出場を目指しています。これが最後の挑戦だと語る長迫選手のオリンピックに懸ける思いとは――。

自転車を始めるきっかけは父のバラ園

― 自転車競技を始めたきっかけは?

僕が4歳の頃、父が脱サラをしてバラ園を立ち上げました。そのバラ園の目の前に岡山県笠岡市が運営する公園があって、その中にBMXのコースがあったんです。ちょうど補助輪が取れるタイミングでもあったので、そこに遊びに行ったことがきっかけです。

― どのようにしてのめり込んでいったのですか?

友達も増えて、とにかく楽しくて。小学校の時は学校の友達と遊ぶより、自転車に乗ったり、自転車の集まりの中にいたりする方が楽しく感じていました。最初は「お父さんは仕事をしているから1人で遊んできなさい」というところから始まったので、遊び感覚で楽しくできたのが良かったのかな。自転車は僕自身を形成してくれたものって言っても過言ではないと思います。

― 高校を中退して海外に行かれました。当時のことを聞かせてください。

BMXレーシングがオリンピックの正式種目になったのは北京2008オリンピックから。当時は14歳か15歳くらいだったんですけど、体も小さくてまだまだ世界で戦える選手でもなかったので「オリンピックか~、いつか出てみたいな~」という程度にしか思っていませんでした。
それからちょっとずつ体も大きくなってきて、それまでは負けていた相手と競れたり、たまに前に出られるようにもなってきたりし始めると、「あれ、もしかして自分もオリンピックに行けるかもしれない!」って心境の変化があったんです。それが中学3年生くらいだったと思います。

― 心境の変化によって、さらに上を目指すための行動に移されたのですね。

そうですね。レースに出るたびに、右肩上がりに結果も出ていたこともあって、このまま高校生をやっているよりBMXに集中しようと思いました。当時は、世界で戦いたければ、日本から出て海外に拠点を置くことが当たり前でもあったので、海外で挑戦することを決めました。

長迫吉拓選手

スポンサー探しが僕にとっての就職活動

― 海外で挑戦といっても下準備なども大変だったのでは?

海外に行くためのお金がなくて、2~3年間はどこにも行けず、アルバイトなどをしながらスポンサー探しをしていました。そんな中、ロンドン2012オリンピックの前の年に初めて日本で優勝したことで、スイスのワールドサイクリングセンターから、ロンドン2012に向けてここで挑戦しないかっていうオファーをもらったんです。
そこから4ヶ月ぐらいスイスに拠点を置いてロンドン2012のために経験と実践を積みましたが、結局はオリンピックに出ることができずに日本に戻ってきました。
出られなかったことで、より一層オリンピックへの思いも強くなって、もっと長期間、海外で自分をパワーアップさせたいと思ったのですが、次に行く時には全てが自費で......。そのためにもスポンサー探しが必要でした。
当時の僕は18歳くらいでしたが、半年間くらいスポンサー探しをして、2013年に本格的にスイスに行く環境がようやく整いました。

― 若干18歳くらいの青年が企業のスポンサー探しをするってすごいことですよね。

オリンピックに行けば、高校を中退した僕でもある程度認められるかもしれないっていう思いもあって、当時は必死でしたね。

― スポンサー探しはどのくらいされたのですか?

まずは電話をかけていたんですけど、400か500社くらいはアタックしました。インターネットで検索したり、商品のパッケージに記載されている電話番号にかけたり。でもパッケージの番号って、基本的にはお客様相談室みたいなところで......。そんなことも分からずに当時は行き当たりばったりでやっていました。

― 400~500社くらいアタックしたなかで、印象に残っていることはありますか?

印象に残っている「失敗」があるんです。スポーツ選手の支援もしている、あるお菓子の会社への活動なんですけど、その会社とは初めてメールなどでキャッチボールができたんです。「これ新しい展開だな」って少し期待をしていたら、最後に「なんでこの会社を選んだのですか?」と聞かれて......。その時に頭が真っ白になって、何も答えられなかったんです。
当時の僕は、正直なところ海外に行くための資金が集まればそれでいいと思っていたので、その会社がどんな商品を販売されているのかを調べることもせず、その商品と自分との関わりを伝えることもできなかったんです。当然、その営業は失敗に終わったんですけど、それから「行き当たりばったりは良くないな」って思うようになりました。

― その失敗からどのようにしてスポンサーを見つけたのですか?

地元の岡山県を代表して、「鬼を退治にしに行こう!」というストーリーを思い描いていて、きび団子を渡すイメージで、「僕にサポートしてください!」ってシナリオを考えていました。その時に、人伝えで岡山県笠岡市の青年会議所で理事をされている方と出会ったんです。そこで僕が考えていることを伝えると、ある企業に連れていってくださって、その企業が2013年からのサポートをしてくださることになりました。そこがスタートでしたね。

― 地元には感謝ですね!

そうですね。今の自分がいるのは手を差しのべてくださった地元の人たちのおかげです! 大きい会社がスポンサーにつけばいいなって当時は思っていましたが、大きい会社ほど、誰も知らない僕のことは見てもらいにくいんですよね。BMXっていう競技もあまり知られていなかったですし。
今、同じようにスポンサー探しをやれって言われたら、たぶんやらないと思います(苦笑)。当時は右も左も分からない状態で、話し方や礼儀もひどかったと思うので、かなり失礼なことをしていたんじゃないかな......。僕は就職活動をしたことがないですが、スポンサー探しが就職活動の代わりだったのかな。今、振り返るってみると、あの時の経験はよかったなと思います。

長迫吉拓選手

やっぱりオリンピックに出たい!

― リオ2016オリンピック、東京2020オリンピックと2大会連続で出場されましたが、それぞれを振り返っていかがですか?

リオ2016の時は、大会前の僕のベストのシーズンが2013年と14年だったので、このまま行けばオリンピックに行けるだろうって思っていました。でも15年に怪我をしたりして、それから一気に成績が下がってしまって......。V字で調子を上げることは難しくて、オリンピックには出れるか、出れないか......といった状況にもなりましたが、リオ2016はギリギリ出場することができました。
出場が決まると、「何を目指しますか?」ってよく聞かれたのですが、行くからには「メダルを目指します!」って言わざるを得なくて......。正直なところ、「言わされている感」があって、気持ち悪かったことを覚えています。
でも実際にオリンピックでメダリストを目の当たりにすると、「やっぱりレベルが全然違う!」って感じました。日本人選手にもメダリストがいて、本当にすごいと思いましたね。

― そこからどのようにして東京2020に向けての気持ちを上げていったのですか?

やっぱりオリンピックでメダルを取りたいっていう気持ちはありましたし、オリンピックが自国で開催されるタイミングに自分の年齢が当てはまることは、なかなかないことだと思うんです。だから、このチャンスだけは逃したくないと思って4年間頑張りました。

― 実際に東京2020に出場していかがでしたか?

東京2020の時は、自分としては年齢的にもちょうどいい時期で、今までで1番仕上がっている状態で迎えた大会でした。でも、結果は準々決勝敗退で......。
自転車を辞めて、父のバラ園を継ぐことも考えましたが、同じチームからメダリストが出て、それを見ると「やっぱりオリンピックっていいな、出来るならもう一度目指したいな」って思いました。

長迫吉拓選手

緊張感やピリピリ感が何とも言えない

― BMXからトラック競技に挑戦しようとしたきっかけは?

スイスに拠点を置いている時、そこではBMXだけでなくトラック競技も普通に目の前で練習をしているような環境でした。冬にBMXの練習ができない時期に、「トラックをやってみよう」って感じで体験をしたら、結構楽しかったのを覚えています。
リオ2016の頃、僕はテクニックは良かったんですけど、脚力が弱かったんです。だから、もっとパワーを付けようと思って、オリンピック後にナショナルチームの合宿に混ざって練習をしたいとお願いをしました。その時に、「トレーニングだけじゃなくて、実際に競技にも出てみたら?」と言ってもらったことがきっかけで、約2年間はBMXとトラックの両方をしていました。
でも、2018年のアジア競技大会(インドネシア/ジャカルタ・パレンバン)では、BMXはメンバーに選考されましたが、トラックは選考落ちで......。きっと両方が中途半端になってしまっていたんでしょうね。
それからは一旦トラックを辞めてBMXに集中しました。でも東京2020が終わった時に中途半端にしていたトラックが心残りで、「もう1回やりたい!」と思ってパリ2024はトラックで目指すことに決めました。

― チームスプリントという種目の面白さや見所は?

チームスプリントって、他の種目に比べるとスタートのピリピリ感がものすごいんです。僕が一走として走っている時間は17秒とか18秒しかありませんが、このスタートの緊張感は何とも言えないですね。
スタートの5秒前からカウントが始まり、「ゼロ」のタイミングでバチっと出ないとそこでタイムロスが生まれて勝敗も左右されてしまいます。だから、この種目を見る時には、ただ単に「よーいドン」で始まるってものではなく、カウントが始まってからの緊張感なども見所のひとつとして楽しんでもらいたいですね。できれば、僕たちと同じようにピリピリしながら見てもらえると嬉しいです。

長迫吉拓選手

最後には何かが起こるんじゃないかな

― 現役生活を終えてからのことはどのように考えていますか?

海外に行ったことも含めて、これまでの競技人生を活かして育成やコーチングなど、裏方にまわりたいなと思っています。僕は環境面や金銭面での苦労も体験しているので、同じようなことで悩んでいる選手に対して、何らかの形でサポートをしてあげたいですね。

― 具体的に思い描いていることはありますか?

僕の考えですけど、BMXのレースを小さい頃から初めることができれば、もっとレベルの高い選手が誕生すると思うんです。競技用の自転車は小さい子が乗れるサイズはあまりないのですが、BMXは子どもでも乗れるサイズがあるので、小さい頃からBMXでバイクコントロールを自然と身に着けていくことができれば、ある程度体が大きくなってきた時に、自分の脚力にあった種目を選べるからです。
時間はかかりますが、種をめちゃくちゃ蒔いて、「BMXという幹で咲く花が、ロードやトラック」っていうルーツ、そして次の世代に繋げるものを作れたらいいなと思います。

― BMXを経験した長迫選手だからこその考えですね。

実際に、チームスプリントにおいて世界で結果を残している選手たちはBMX出身の選手が多いんです。BMXの競技人口を増やしたいという思いもありますが、BMXを通して自転車競技全体の裾が広がれば嬉しいです。
あと、いずれは父のバラ園も継ごうと思っています。もともと植物が大好きですし!

― 最後に、パリ2024に懸ける思いを聞かせてください。

最後の挑戦だと思うと悲しいですけど、だからこそ頑張りたいなって思っています。
4歳のときに父がバラ園を始めてくれたおかげで自転車競技に出会えて、そこからもう27年目。自転車に出会ったことも偶然ではなく必然で、自分にとっての天職じゃないですけど、やるべきことがすでにそこにあったのかなと。長い歳月をかけて、やっとひとつの目標を叶えられる気がしています。
僕の「吉拓」という名前には「運を自分で切り拓いていってほしい」という父の思いが込められているんです。だからこそ、最後にミラクルじゃないですけど、何かが起こるんじゃないかなと思っています!

PROFILE

長迫 吉拓

長迫 吉拓 YOSHITAKU NAGASAKO

1993年生まれ、岡山県出身。実家がバラ園を行っており、その目の前のBMXコースのある公園で、4歳のころから乗り始めたことがきっかけでBMXレーサーとなる。リオ2016オリンピック、東京2020オリンピックにBMX日本代表選手として2大会連続出場。東京2020大会後に日本トップBMXレーサーというキャリアを終え、トラック競技のチームスプリントに転向。2023年チームブリヂストンサイクリング加入。3大会連続となるパリ2024オリンピックへの出場を目指す。

    SHARE
    TEAM BRIDGESTONE 2024 in PARIS

    TEAM BRIDGESTONE 2024 in PARIS

    ブリヂストンは、オリンピックおよびパラリンピックのワールドワイドパートナーとして、パリ2024大会を応援しています。

    SHARE このページをシェアする

      このページの先頭へ