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今あるものを最大限に活かす

秦由加子

  • インタビュー
  • パラトライアスロン
秦由加子

リオデジャネイロ大会からパラリンピックの正式競技となったパラトライアスロン。スイム750m、バイク20km、ラン5kmの3種を連続して行い、合計タイムを競うもので、障がいの程度や種類に応じてPT(Paratriathlon)1〜PT5まで5つのクラスに分かれている。女子PT2日本代表の秦由加子選手は2013年からパラトライアスロンに取り組み、今現在も伸び盛りにある。競技が楽しくてしかたがないという秦選手がパラリンピックにかける夢とは。

もう一度泳ぎたい

秦由加子選手

自分を変えたい。そう思った秦選手がスポーツクラブに通うことにしたのは2007年、26歳のときだった。
「社会人になって仕事にも慣れ、少しですが自由になる時間とお金もできました。それで、3歳から10歳まで続けていて大好きだった水泳への再トライを決めたんです」
13歳で骨肉腫になり、足を切断して以来スポーツとは無縁の生活だったが、心の中にはずっと、もう一度泳ぎたいという思いがあったという。
「でも、そのときは周りの目を気にしてしまって、プールに長くはいられませんでした。そんなとき地元に千葉ミラクルズSCという障がい者スイミングクラブができると知って、すぐに申し込んだんです。」
ここで秦選手は競泳に目覚める。たくさんの水泳仲間ができ、大会に出場する選手や北京パラリンピックの日本代表選手とも知り合いになって、「自分ももっともっと速く泳げるようになりたい」と思うようになったのだ。
その後、出勤前の朝練ができる稲毛インターでもトレーニングを開始。練習を重ねて大会に出場するようになり、2010年には国際大会強化指定選手に選ばれるまでに成長した。

秦由加子選手

楽しむために始めたパラトライアスロン

秦由加子選手

目指すは2012年のロンドンパラリンピック。そう決めた時点で、「出場がすべてのゴールになってしまった」と秦選手はいう。記録はどんどん伸びていく。大会順位も上がる。それなのに、嬉しいと思えないのだ。
「水泳を始めたばかりなので、やればその分伸びて当然だという意識が強かったんです。自己ベストを更新し続け、それが日本記録でも、ロンドン大会参加標準記録にはまだ遠い。これでは意味がない、もっと記録を出さなければと、使命感のようなものから泳いでいました」
果たして、ロンドン大会出場はならなかった。ベストを出しても及ばない状況に「最後のほうは半ばあきらめの気持ちもあった」という秦選手。心中にはこのとき既に、パラトライアスロンがあった。
「稲毛インターにトライアスリートがたくさんいて、ずっと興味がありました。パラリンピック云々ではなく、まず楽しくスポーツがしたい。それには水泳から少し距離を置いてみるのもいいと思ってチャレンジしたのが始まりです」

秦由加子選手

新しい世界が次々に開けていく

秦由加子選手

ロンドン大会が終わった冬、秦選手は義肢装具士の臼井二美男氏が主宰する陸上チーム、ヘルスエンジェルスの練習会に参加し、初めて競技用の義足をつけた。最初はおそるおそる、それから早足で、ついには義足で地面を蹴ったとき、ふわっと体が宙に浮いたその感動を、今も鮮明に覚えているという。
「日常生活用の義足だと、両足が地面から離れることはないんです。走るってこういう感じだったと、実に18年ぶりに蘇りました」
バイク(ロードレース用自転車)ではさらに、風を切る感覚を味わった。
「それまでスピードを感じるといったら、車か、動く歩道ぐらい。それがバイクだと、エンジンではなく自分でペダルを漕いで加速し、体で風を感じながら走れます。いろいろなところに行けるのも嬉しかった」
次々と新しい世界を見せてくれるトライアスロン。できなかったことが、どんどんできるようになる。楽しくて仕方なくて、いくらのめり込んでも「トライアスロンにはきりがない」と思うそうだ。

秦由加子選手

義足に対する考えが変わった

秦由加子選手

むろん、苦労もある。慣れない競技用義足に接触部分が耐えられず、義足の中が血だらけになることも少なくない。また、それまで鍛えていなかった右足は長距離を走ると痛み出した。
それでも続けてこられたのは、スイムやバイクの種目もあり、ランの痛みを上回るトライアスロンの楽しみ----スポーツをする喜びを噛みしめていたからだ。
喜びは、義足に対する考え方が変わったこととも大きく関係している。きっかけは、海外のパラトライアスリートの女性の写真だ。
「アメリカの雑誌の切り抜きでした。私と同じ大腿切断で、競技用の義足で写っていたのですが、それが自然でカッコよくて。私にもできるかもしれないという気持ちが芽生えたと同時に、義足を隠す必要はないんじゃないかと気付きました」
その思いは練習を重ねるにつれ強くなり、いつの頃からか秦選手は義足に外装(足に似せたスポンジのカバー)をしなくなった。
「会社では義足の上からパンツスタイル、休みの日は短パンで買い物に行きます。義足で生活する人は大勢いるはずなのに、その姿を外で見かけないのは、皆さん、わからないようにしているからでしょう。でも、義足をしている人もそうでない人も、私を見て、『あ、そういうのもアリなんだ』とスッと入ってくれば、いろいろなことが変わってくると思うんです」

秦由加子選手

伸びしろはたっぷりある

秦由加子選手

秦選手の強みはスイムで、どの大会でも1位で陸に上がってくる実力を持っている。課題は経験の浅いランで、そこで逃げ切れるかどうかが勝敗を決する。そのことをよく物語るのが、2015年のITU世界パラトライアスロンイベントオーストラリア大会だ。バイクまでトップだったが3周回あるランで1周ごとに抜かれ、結果は4位に甘んじた。
他方、トランジション(次の種目への転換)もタイムに含まれるので重要だ。この7月のITU世界パラトライアスロン選手権オランダ大会は、スイムからバイクへのトランジションの距離が長く、しかも石畳だった。スイムをトップで上がった秦選手は松葉杖を使ったが、他国の選手はラン用の義足を準備しており、かなり差を縮められてしまった。
パラトライアスロンでは、使う道具がたくさんある。各国の選手たちは自分の肉体を活かすためそれぞれ工夫を凝らしているので、そこも大きな見所だ。バイクに関していえば、秦選手はリオ大会を前に使用する機材をブリヂストン アンカーに変更した。より機能的な機材をいかに効率的に選択できるかは、パラトライアスロンの勝敗を分ける分岐点ともいえるものなのだ。
「トランジットや道具の工夫でできることははまだまだあるので、リオまでに準備していきたいですね。水泳でアドバンテージをつくって、そこからさらにバイクで引き離し、追う側にプレッシャーを与えておいて、ランで確実に逃げ切って勝つ、そんなレース展開で攻めるつもりです。伸びしろもたっぷりありますから」

秦由加子選手 秦由加子選手

パラリンピックを見たとき、選手たちは障がいがあるのに凄いと思う人が多いかもしれない。しかし、それはやはり、ないものに目を向けた発想だ。
「それよりはあるものに目を向けて、競技そのものを楽しんでもらえたら嬉しいです。パラリンピックは、あるものを最大限に活かす努力をしてきた人たちが出場する大会なんです」
スポーツクラブに通うという小さな一歩を踏み出して9年。秦選手の人生は自身が驚くほど大きく変わった。今、パラリンピックを目前に、自分を支え、ここまで連れてきてくれた人たちへの感謝の気持ちで一杯だという。
「表彰台に立ち、そうした皆さんと喜びを分かち合うのが私の夢です」

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TO TOKYO 2020

完全なレースを目指す
YUKAKO HATA

PROFILE

秦由加子

秦由加子YUKAKO HATA

1981年千葉県出身。3歳から10歳まで水泳を習う。13歳で骨肉腫を発症し、右足の大腿部切断を余儀なくされてからスポーツから遠ざかっていたが、就職後、2008年に障がい者水泳チームで水泳を再開。2012年のロンドンパラリンピックを目指すも出場が叶わず、パラトライアスロンに転向。走るのは18年ぶりであるにもかかわらず、わずか4年でリオデジャネイロ大会の切符を手にした。

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    秦由加子 インタビュー #2 | パラトライアスロン

    秦由加子 インタビュー #2 | パラトライアスロン

    ROAD TO TOKYO 2020 秦選手の描くロードマップとは。

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