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東京1964オリンピック 自転車ロードレース史上類を見ない、ゴール直前の大混戦

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番組シリーズ:The Olympic On The Records
記憶に残る有名なオリンピック記録の背景を、映像やアニメ、イラストなど、ビジュアルで楽しく解説

アテネ1896オリンピックから正式競技として採用されて以来、途切れることなく実施されている数少ない競技のひとつ、自転車競技ロード。世界の有力選手100人以上が結集し、約4時間半かけてタイムを競い合う、体力はもちろん、精神力と戦略が勝敗を分ける競技です。

見どころは、なんといってもゴール直前、長時間に及ぶ過酷なレースの勝敗が決まる最後の数メートル。金メダルを手中に収めることができるかが、ラストスパートの勝負にかかっています。選手たちは最後の最後で勝利を手に入れるために、長期間に渡りトレーニングを積み、身体面だけでなく心理的にも厳しいレースを戦い抜かなければなりません。

東京1964オリンピック 自転車ロードレース史上類を見ない、ゴール直前の大混戦

ゴール手前でのスプリントがクライマックスの自転車競技ロードにおいて、東京1964オリンピックは、多くの人の記憶に刻まれた熾烈なレースとして今でも語り継がれています。

1960年代は自転車競技において、イタリア、フランス、ベルギー、オランダ勢が圧倒的な強さを誇っていました。東京1964大会では、「不死鳥」の異名を取ったイタリアのフェリーチェ・ジモンディ選手や、「人食い族」の呼び名で知られるベルギーのエディ・メルクス選手、同じくベルギー出身で「フランドルのブルドッグ」と呼ばれたウォルター・ゴードフルート選手など、将来、スターとなる選手たちが出場していました。

レース序盤は、前を走る選手にぴったりとついていき、エネルギーを温存します。終盤に近づくと、勝利をかけ、今ついている集団から飛び出そうと試みる選手もいますが、時速約40kmものスピードでマシーンのように走り続ける選手たちを引き離すにはそれを上回る十分な脚力が必須です。さもなければ、集団に再び巻き込まれてしまうのです。

東京1964オリンピック 自転車ロードレース史上類を見ない、ゴール直前の大混戦

東京1964大会では、この集団が信じられないほど大きなものになりました。原因は特殊なレースコースと悪天候です。アップダウンのある山岳コースと違い、東京1964大会のコースは約65mの登坂箇所が周回コースの中で1ヶ所のみ。それにより差が生まれにくく、さらには優れないコースコンディションがスムーズに集団から抜け出すことを妨げます。逃げ切ることのできる選手がいないまま、195kmもの長く厳しいコースを大集団で走り続けていきます。

東京1964オリンピック 自転車ロードレース史上類を見ない、ゴール直前の大混戦

ゴール前の最終ステージ――。勝負に出る選手はまだいません。警戒心が生まれるのです。ゴール手前の数百メートルまで、賭けに出る者はいないまま、走り続けます。そして最後のゴールスプリント、誰もが頭を下げて全力疾走。集団に残った99人の選手全員が優勝を目指して駆け抜けます。残りあと20kmほどという地点で、イタリアのマリオ・ザニン選手とデーン・キェル・ロディーアン選手がわずかに抜け出ます。それを他の有力選手たちがわずか100分の1秒以下の差で追い上げます。

東京1964オリンピック 自転車ロードレース史上類を見ない、ゴール直前の大混戦

東京1964大会の激戦を制したのは、最初に集団を飛び出した当時24歳のザニン選手でした。競技人生において彼の優勝経験はその後1度のみ。東京1964大会は、ザニン選手のためのオリンピックであったと言ってよいでしょう。1位のザニン選手から99位の選手までは、わずか0.2秒の差。

100人を超える選手たちの大集団が繰り広げるレース展開と、ゴール前の大混戦は史上稀にみる一戦として今もなお語り継がれています。

東京1964オリンピック 自転車ロードレース史上類を見ない、ゴール直前の大混戦

東京2020オリンピックでは、トラック種別のマディソンとBMXフリースタイルの追加が決定され、注目を集めている自転車競技。日本代表チームにおいても複数種目でのメダル獲得を目指した活躍が期待されています。

半世紀もの時を経て、2020年、再び東京を舞台に繰り広げられる自転車競技。躍動感あふれる熱いスピードレースは必見です。

フェリーチェ・ジモンディ
1942年イタリア生まれ。1965年プロデビュー。数々の世界選手権、世界三大自転車レースすべてで総合優勝を飾った自転車界の伝説。"不死鳥"と呼ばれ、死してなお英雄としてその功績が称えられている。

エディ・メルクス
1945年ベルギー生まれ。1965年にプロデビュー。以来、世界三大レースの制覇、世界選手権で3度の優勝を果たし、通算525勝をあげるなど、その強さは桁違いであり、「ザ・カニバル(人食い)」というニックネームは勝利に執着する姿勢に由来するという。引退後ブリュッセル郊外に自転車工房を設立、自らの名"Eddy Merckx"を冠した自転車を作り続けている。また、現在でもレース現場にスタッフとして関わるなど自転車競技界に貢献し続けている。

ウォルター・ゴードフルート
1943年ベルギー生まれ。プロとしてのキャリアで通算155にのぼる勝利を収めたスター選手のひとり。メルクス選手をして「直接の対決で1度も勝利をあげたことのない敵のひとりだ」と言わしめた。

マリオ・ザニン
1940年イタリア生まれ。東京1964オリンピックでメルクス選手やジモンディ選手を破り、金メダルを獲得。その後プロに転向し、1968年引退。

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