サイト内検索

少年の心を忘れずに運命のオリンピックに挑む

橋本英也

  • インタビュー
  • 自転車競技・トラック
橋本英也

中距離トラックレースを軸に、競輪、ロードレースの3つのジャンルで活躍する橋本英也選手。少年の頃から自転車に乗るのが好きで、楽しくて、その思いは今も変わらない。惜しくも出場を逃したリオ2016 オリンピックから、東京2020オリンピックへ。成長の軌跡を追った。

競技を始めたのは自然な流れ

橋本選手

自転車と相思相愛。自転車に乗るのが好きで、乗れば誰より速かった。少年時代の橋本選手の話である。

「トライアスロンが好きだった親の影響で、小学生でトライアスロンを始めました。そしたら、自転車がデフォルトで速かったんです。水泳は習っていたのに今ひとつで、ランは苦手。でも、バイクのパートはずーっと必ず1番でした」

自転車はふだんから乗り回していた。家の近所にアスファルトのコースになった空き地があり、そこでよく友達と一緒にレースをして遊んでいたという。もちろん無敵。

「そんなところが僕のルーツのような気がします」

中学生では自転車をやりたいという気持ちが固まっていた。ちょうど出身地岐阜県での国体開催に向けて中学生から選手を強化する動きがあり、高校の強豪自転車部で高校生と一緒に練習に励んだという。

「競技としてしっかり取り組むようになった最初ですが、それも自然な流れというか、好きだから乗ってる、楽しいから練習するという気持ちでしたね」

レースの一番の敵は自分

橋本選手

高校はその自転車の強豪校に進学。すぐに頭角を現し、高校総体や国体で何度も優勝する。高校2年ではオーストラリアへ遠征し、初めての海外レースに参加した。

「オーストラリアは競技人口が多く注目も高くて、衝撃を受けました。たくさんの観客の前で自転車でレースするっていうことがすごく楽しかった」
自転車競技への国民的関心が日本に比べて格段に高く、文化の違いを意識した。その後2011年に開催されたアジア最高峰の大会ではチームパシュートで優勝。この頃から自転車を一生の仕事にする決意をしており、高校卒業後は同級生の多くが就職する中、自転車に専念するため鹿屋体育大学に進学。それまでのトラックレースに加え、ロードレースも本格的に始めた。

「大学では自分より強い先輩選手に揉まれて、刺激を受けながら一緒にトレーニングしたことで成長しました。人って、環境が変わって、その環境に順応しようとするときに一番強くなると思っているんです。それから、体育大学なのでバイオメカニクスなどスポーツを科学的に勉強できたのも良かったと思います」

橋本選手

これらを糧とした成長を裏付けるように、快進撃は止まらなかった。いきなり大学1年で個人パシュートの日本記録をマーク。2014年のアジアでの総合競技大会ではオムニアムで優勝。その他の各種世界大会にも日本代表として出場を果たしている。

「こいつには負けないっていう競争心より、今の自分を超えたいという思いが強いです。一番の敵は自分だと思っていて。勝ちだけを意識すると、劣勢で負けるかもって思った瞬間に、もう駄目だと思うんですね。なので、僕のスタンスとしては自分のベストを出す、その中で優勝があると考えています」

オリンピックは目標だが、ゴールではない

橋本選手

順調に勝ちを重ねてきた競技人生だったが、大学を卒業した2016年、リオ2016オリンピック出場を逃した。

「当時はオリンピックを唯一の目標に、そのためにいろいろなものを犠牲にしてやっていたので、落選した時点で自分は何をすればいいかわからなくなってしまいました」

自転車が初めて嫌になった。

「リオ2016を目指す過程で、自転車に乗ることが目的ではなくオリンピック出場の手段になってしまっていました。それで、出られないとなったら乗れなくなってしまった。それからは、薄い、色のない生活をしていたように思います。期間は長かったんですけど、今振り返ってみても、へこんでたときのことってあまり記憶にないんですよね」

橋本選手

記憶にないほどの悔しさや喪失感。しかしこのまま悔やんでいても得るものはない。後悔ではなく、反省して、次に活かすことを考えよう。そうやって再び少しずつ前へと向き直す。

「どう立ち上がって、どんなものを作ろうっていうときに、競輪がいいなと思いましたね」

それまでは中距離トラックレースとロードレースを基本としていた橋本選手にとって、競輪は未知の世界、新しいチャレンジだった。優勝経験の多いこれまでの競技と違って、自分より強いライバルだらけだ。ここにきて、今までとはまったく違う環境に身を晒し、ライバルたちに揉まれるという経験を選択したことは、「人は環境に順応するとき最も成長できる」という橋本選手の持論の実戦だったとも言える。

同時に、オリンピックに対する思いも変わってきたという。

「世界の見方が変わったんです。目標に向かって生きていく過程には価値があり、それが人としての魅力にもつながると思います。でも、目標を"オリンピック"それだけに限る必要はない、と。だから今回の東京2020オリンピックも、目標ですが、ゴールだとはとらえていません」

とはいえ、高まる気持ちは抑えられない。

「オリンピックは4年に1回で、選手としてはすごく長いスパン。そのオリンピックが20代後半、ベストパフォーマンスが期待できる時期に、しかも日本で開催される。それは本当に運命だと思っているので、フォーカスして、全身全霊で向かいますし、東京2020オリンピックを通して自転車というのをもっと盛り上げていきたいです」

新しい出会いを探しながら自転車を楽しむ

橋本選手

中距離トラック、ロードレース、競輪。3つのジャンルでサドルにまたがる橋本選手だが、互いに影響し合うのだろうか。

「影響しますね。僕は相乗効果を生むって言っています。競輪は距離が短くてスピードが速い。ロードは距離が長くてスピードが遅い。中距離がその真ん中、距離がある程度長くて、スピードがある程度速い。なので、競輪をすることでスピードがついて、ロードをすることで持久力がつく。競輪とロードの両方がいい形で中距離に活かせています」

選手として、レースだけでなく競技環境全体を見る目も持っている。

「特に競輪は若い層のファンを増やして、競輪場をデートスポットの一つにしたいんですよね。そのために僕らは、競輪を今よりもっとカッコ良くて感動できるものにしていかないといけない」

思い出すのは、高校時代にオーストラリアでのレースに出場した経験だ。

「日本でも、自転車をもっともっとメジャーなスポーツにしていきたいんです」

橋本選手

チームブリヂストンとしても自転車に限らずさまざまな活動をしていきたいと考えている。

「他の競技の選手とももっとコミュニケーションを取りたいし、行ったことのない場所や会ったことない人に会って、もっと世界を広げたい。自転車以外のところに、これ、自転車に活かせるじゃんって気づくことが結構多いんですよね」

最後に改めて自転車の魅力について聞くと──。

「自由に、一人でも楽しめるところでしょうか。自転車ってスポーツでもあるし、移動手段でもあるから、いろんなところに行って普段見ない景色を見て感動もできるんですよね。去年、競輪学校の夏休みに練習を兼ねた旅行のような感じで岐阜から東京まで自転車で行ったんですよ。それも下の道ではなく山越えするコースを選んで、距離を計算しながら、宿も飛び込みで。すごい楽しかったです(笑)」

第一線のアスリートでいながら、自転車と相思相愛の少年の心を持つ橋本選手。運命の東京2020オリンピックにむけ一番の敵である自分と戦いながら、純粋に自転車を楽しむ気持ちも忘れていない。

橋本選手

PROFILE

橋本英也

橋本英也EIYA HASHIMOTO

1993年12月15日生まれ。岐阜県出身、25歳。
2018年アジア自転車競技選手権大会トラック・オムニアム優勝。
2018年アジア大会トラック・オムニアム優勝。トラック、ロードだけではなく、競輪にも参加し非常に幅広い舞台で活躍。明るい性格で、チームのムードメーカー的な存在。

    SHARE

    SHARE このページをシェアする

      東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会の公式ウェブサイトです。

      このページの先頭へ