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東京2020オリンピックでは、日本発祥のケイリンで金メダルを取りたい!

脇本雄太

  • インタビュー
  • 自転車競技・トラック
脇本雄太

高校から自転車競技を始め、2年生のインターハイで当時の高校記録を更新。卒業後は競輪※1の世界に飛び込み、トップレベルで活躍を続けるのが脇本雄太選手だ。リオデジャネイロ2016オリンピックに続き、地元開催となる東京2020オリンピックでも男子ケイリン※2への出場を決めた脇本選手が、これまでの道のりと夢の舞台での目標を語った。

※1 競輪
7〜9人の選手がコンクリート製のバンクを自転車で走り、スピードを競う公営競技。競技中、選手同士は「ライン」と呼ばれる隊列を結成し、チームで協力しながらレースを展開。個人戦と集団戦という2つの特性を兼ね備える。

※2 ケイリン
前述の競輪を基にした自転車競技トラックの1種目のことで、7名までの選手が板張りのバンクを自転車で走りスピードを競う。シドニー2000オリンピックで正式種目に採用された。競輪に見られるようなラインは組まれず、レースは個人同士の戦いで展開される。

興味のなかった自転車競技部への入部が、人生の転機に

最高時速は70キロ超。触れ合うほどの至近距離で激しく迫り合いながらゴールを目指す競輪は、時に格闘技にも例えられるほど熾烈な競技だ。そんな厳しい世界で戦う脇本雄太選手だが、意外にも幼少期は内気な性格だったという。「好きな遊びはけん玉で、スポーツにはほとんど縁のない子どもでした」

脇本雄太選手

そんな脇本選手に転機が訪れたのは、高校生の時。中学からの親友に自転車競技部に誘われると、クラスの副担任の先生が顧問だったこともあり、そのまま入部したのだ。

「好きな科学を学びたくて科学技術高校に進学したこともあり、自転車には全く興味がありませんでした。誘ってくれた友達と長く過ごしたいがために、入部したようなものですね」

このなにげない親友からの誘いが、のちに脇本選手の人生を一変させることになる。

国体で2連覇して、オリンピックを意識

「入部当初は、運動部の経験がなかったので体力的に辛かった。でも、練習によって体力がついてきて、ほかの部員たちと同じぐらいの速度で走れているってわかった瞬間に、楽しいと感じられたんです」

加えて、顧問の先生のサポートで早朝に自主練習を行うなど努力を重ねていくと、2年生に進級した頃から、成果が如実に出始めた。

「北信越の地区大会で優勝することができました。さらに8月のインターハイでは全国で2位になることができたんです。優勝こそ逃しましたが、タイム自体は当時の高校記録を更新することができました。2年生の時点で記録を塗り替えたこの時から、僕を見る周囲の目が変わっていったように思います」

続いて10月に行われた国体では優勝を果たす。そして、3年生になって出場した国体でも、怪我をした脚が完治していない状態にもかかわらず、優勝することができた。国体で2連覇を成し遂げると母親から"世界一を目指しなさい"と言われ、オリンピックを意識するようになっていく。

19歳で競輪デビュー。活躍のあと立ちはだかった壁

高校卒業後は日本競輪学校(現・日本競輪選手養成所)の門を叩き、19歳で競輪選手としてデビュー。脇本選手はすぐに結果を出し、成績によって上下するランクを次々とあげていく。しかし、ある程度のレベルに到達すると、成績が伸び悩んでしまった。

「原因のひとつには、怪我の影響がありました。落車して右の鎖骨を折り、1ヶ月も入院を強いられて。そのときに活力みたいなものがどんどんなくなっていったんです。以降は競輪で一番格式の高いG1と呼ばれるレースに出場しても、決勝まで上がるとそこで満足してしまい、なかなか勝ちに繋がりませんでした」

初めてのオリンピックは、想像と違う世界だった

脇本雄太選手

脇本選手が変わり始めたのは、ロンドン2012オリンピックの頃。自身の出場は叶わなかったが、テレビで自転車競技の試合を観戦したことで、次のオリンピックに向けて頑張りたいという気持ちが芽生え始めた。すると2016年には、自身初めてのオリンピックとなるリオデジャネイロ大会への出場を果たす。そこで脇本選手が目の当たりにしたのは、想像とはかけ離れた世界だった。

「選手村に入った瞬間から周りの選手の顔つきが変わり、ピリピリとした緊張感を感じました。その時に、自分のオリンピックへの態度が間違っていたことに気づいたんです。自分は甘すぎました」

競技の雰囲気も、いつもとは異なる特別なものを感じたという。

「オリンピックのケイリンに出場した選手の顔ぶれは、世界選手権の時とほとんど同じでしたが、ほかの大会とは別人かのように鬼気迫る雰囲気で試合に臨む姿を見て、圧倒されましたね」

観客の熱気も凄まじかったという。もともと自転車競技は、観客と走っている選手の距離が近く、応援の声がダイレクトに聴こえるのだが、オリンピックではいつも以上に心の底から応援していることが伝わってきた。

脇本雄太選手

「歓声に圧倒されて、期待に応えなければという気持ちが強くなりすぎてしまったんです。地面に足がついていないんじゃないかっていうぐらい浮き足立ってしまい、結果は13位。何もできず、それまでテレビで観てきたオリンピックと実際に出場するオリンピックの違いを、身をもって感じました」

フランス人コーチに出会い、練習環境が一変

「リオデジャネイロ大会での結果には一切納得していない」と話す脇本選手。ただ、今となっては、いい経験ができたと当時を振り返る。そして、4年後はいよいよ自国開催となる東京2020オリンピックというタイミングで、自転車競技トラック 日本代表の短距離ヘッドコーチに、フランス人のブノワ・ベトゥ氏が就任。脇本選手もその教えを請うことになり、これによって練習環境が一変。オリンピックでのメダル獲得へ向け、最新テクノロジーを駆使したトレーニングがスタートする。

「それまでは、基本的に日本の競輪に出場しながら、空いたスケジュールで自転車競技の練習をしていました。でも、ブノワコーチになってからはそれが逆になり、競技の練習をしながら、それを応用して競輪を走るようになったんです」

自転車に乗る時間を減らし、テクニックが向上

日本の競輪と、オリンピックの種目である競技のケイリンは似て非なるもので、ルールや走行路の素材や長さなど多くの違いがある。自転車も異なり、競輪では定められた規格内で作られたものを使用するが、ケイリンの場合は、競輪よりも素材や形などが自由。競輪の自転車よりも空気抵抗が少なくスピードが出るため、乗り方が変わってくるのだ。

かつての脇本選手は、自転車に乗ったら乗った分だけ強くなるという感覚があり、1日8時間乗っていた。しかし、ブノワコーチになってからは、自転車に乗るのはあくまでもテクニックを磨くためであるという考え方により、乗車時間は3時間に減少した。

「その分、映像やセンサーを使って、どれだけの力で走っているのかなどの詳細なデータを分析しています。一方で、しっかりとジムトレーニングを積むことで、体の基礎を作っていくというやり方に変わりました」

精神面でも成長し、有言実行ができるように

脇本選手は、精神面でも大きな変化を遂げた。それまでは十分に練習をしてきても"そんなに練習をしていないので"と謙虚に振舞っていたが、今は思っていることを隠さずに口に出すようになった。

脇本雄太選手

「例えば、"僕はしっかりと練習をしてきましたし、今回は優勝するつもりです"といった強気な発言もするようになったんです。最初の頃は演技をしている感じがしたり、自信過剰になっているんじゃないかと自分でも思ったりしてしまい、成績が付いてきませんでしたが、次第に有言実行できるようになり、結果につながってきたんです。もともとブノワコーチからは、自分の発言がレースに影響するようになるまでに18ヶ月かかると言われていて、成績が良くなってきた頃にそれまでの年月を数えてみたら、ちょうど18ヶ月! 競輪のG1レースでも優勝することができて、コーチの指導が的確であることがわかりました」

日本発祥のケイリンで金メダルを取りたい

フランスからやってきた才気あふれるコーチに導かれ、心技体が充実した今、脇本選手が満を持して迎えるのが、東京2020オリンピックだ。開催に向けては様々な意見があり課題も多いが、もし予定通り開催されたら5年ぶりとなる大会に向けて、一番のモチベーションになっているのは、なんとしてでも金メダルを取りたいという執着心。リオデジャネイロ2016オリンピックで情けない走りをしてしまい、そのリベンジをしたいという一心で、厳しい練習にも耐えてきた。

「自分がどれだけオリンピックに対して強い気持ちを持っているのか、どれだけそこに対する執着があるのかが大事だと思っています。母国開催の大会に出られることを誇りに思いますし、出場するからには日本発祥の競技であるケイリンで金メダルを取りたい。東京2020オリンピック出場を目指した時から常に思ってきたことを、本番の舞台で必ず有言実行してみせます!」

前回大会の雪辱を果たすため、そして、ケイリン発祥国としてのプライドにかけて。脇本雄太選手は、この夏、絶対に負けられない戦いに挑むのだ。

脇本雄太選手

PROFILE

脇本雄太

脇本雄太YUTA WAKIMOTO

1989年生まれ。福井県出身。2019年にチームブリヂストンサイクリングに加入。
リオデャネイロ2016オリンピックにケイリン種目で出場しているトップアスリートであり、トラック競技のアジア選手権を同種目で2連覇、2020年には世界最高峰となるトラック競技の世界大会で銀メダルを獲得。
東京2020オリンピックでは日本発祥のケイリン種目でのメダル獲得が期待されている。

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