サイト内検索

挑戦するのは当たり前。
さらに貪欲に勝ちに行きたい

小倉理恵

  • インタビュー
  • パラバドミントン
小倉理恵

車いすでコートを自在に動き回り、スピード感あふれるプレイで見る人を魅了する小倉理恵選手。生まれつき両足の関節の可動域が制限される病を持つが、バドミントンと出会ってスポーツの楽しさを知った。東京2020パラリンピックでメダルが期待される選手の一人である。家庭と仕事と競技生活すべてに全力投球する彼女の姿を追った。

素早く動けるのが楽しかった

小倉理恵選手

最初にラケットを握ったのは高校1年、16歳のときだった。水泳のために通っていたスポーツセンターで、友人から誘われた。

「当時はクラッチ(杖)を使って歩いていて、そのとき初めて競技用車椅子に乗りました。こんなに速く動けるんだって、びっくりして。クラッチでは走ることはもちろん、速く歩くのも難しかったので、バドミントンより先にまず、素早く動き回れることがとても楽しかったんです」
楽しかったから続いたというバドミントン。夫ともバドミントンを通じて知り合い、夫が社会人、小倉さんが大学生のときに結婚。一男一女を出産した。

そのころ、転機が訪れる。仲間の一人からダブルスのペアを組んで日本選手権に出場しないかと持ちかけられたのだ。

「子どもが2歳、0歳と小さかったので、試合の間子どもたちの面倒を見てあげられないから大丈夫かな、とすごく悩みました。でも夫が、自分も子どもたちの面倒を見るから、と背中を押してくれたんです」
ただ、このときの結果は惨敗だった。頑張ったけれど、力及ばず。そんな気持ちでいると、帰宅する車中で夫から叱咤激励されたという。
「試合の後にそんなヘラヘラ笑っているようじゃ駄目だと。私としては真剣にやったし、悔しい思いもしているつもりだったんですが......。それから二人でいろいろ話すうちに、子どもとの時間を削ってまで日本選手権で戦うなら、もっと本気でやらなきゃいけないという気持ちになりました」

育児と、仕事と、競技と

小倉理恵選手

しかし、練習に割ける時間には限りがある。就職して、さらに条件は厳しくなった。母親と、新入社員と、アスリートの1人3役。どれも手を抜くわけにはいかない。

「私のなかでいちばん大事なのは子育てです。一方で、昔から仕事はずっと続けていきたいと考えていました。学生時代に子どもを産んだのも、障がいというハンディがある中、出産でキャリアを中断したくなかったから」

大学で繊維システム工学を学んだ小倉選手は、いわゆるリケジョ。モノづくりに興味があり、メーカーで開発設計の仕事に就いていた。そのうえで目指した、パラバドミントンの日本一。

「最初のころは、それこそ週末の1日を練習に充てるので精一杯。仕事に慣れてきた頃も、平日の夜は週に1回。週末も、2日できればいい方でした。少ない練習時間の中で質を上げるためにメニューを考え直したり、子どもと一緒でもできるような練習を考えたり、本当に少しずつ、少しずつ、試行錯誤を繰り返しながら何とか前に進もうとしていました」

小倉理恵選手

今でも時間のやりくりは大変だという。育児と仕事と練習と、それぞれの密度を上げようと頑張っているのだが、余裕がなくていつもバタバタ。

「3役こなしていますと胸を張れる状態じゃないです。ここまでやりたかったのに、ということも多くて、いつも頭を抱えている。本当に、1日1日精一杯で、今日もなんとか終えられた、という感じ。周りの方々にはすごく助けていただいていますね」

3役すべてに全力投球だが、心の持ち様はそれぞれ違う。練習の時はメラメラっと燃える感じで、グッと集中。子どもといるときは楽しく、穏やかな気持ちで、子どもの話をよく聞く。仕事ではいかにアウトプットを出せるかに集中しているとか。それぞれの役割が互いを刺激し合い、補い合って、バランスが取れることもあるに違いない。

東京2020パラリンピック開催が決まって感じた"焦り"

小倉理恵選手

社会人として日本選手権に出場した小倉選手は、大躍進した。2012年はシングルスで3位、2013年と2014年には優勝を果たし、トップ選手に成長する。

そして2014年、東京2020パラリンピックでバドミントンが正式競技に決まったとき、小倉選手がまず感じたのは"焦り"だったという。
「仲間の選手たちは喜んでいましたが、私は"あ。ほんとに決まってしまったんだ"と。日本選手権優勝者として自分が引っ張っていかなきゃいけないと身震いしましたし、同時に、世界各国もグンとレベルを上げてくるだろうから、今のままの自分では駄目だ、もっと練習量を増やさなければと焦ったんです」

小倉理恵選手

練習時間を少しずつ増やしていくと同時に、練習メニューも積極的に変えていった。試合に出るたびに見つかる課題に対して、それをクリアすべく工夫を重ねた。体力づくりや食事にも、それまで以上に気を遣うようになったそうだ。

「特に筋力トレーニングですね。練習量が増えれば痛みも出てきます。怪我の予防という意味もあって、自分の弱い部分の筋力強化に励みました」

次第に、どうやっても平日の練習時間が取れない勤務環境が歯がゆくなってきた。国外を含めてパラバドミントン界はどんどん進化しているはずだ。自分は時間がない分、練習の質にこだわってきたが、それももう限界ではないか。このままでは取り残される。そんな時、バドミントン仲間を介して出会ったブリヂストンに、2018年転職した。

貪欲に勝ちに行く気持ちが生まれた

小倉理恵選手

「今は午前中に仕事をして、午後はみっちり練習させてもらっています」

練習メニューもこれまでは夫婦で組み立ててきたのだが、現在は専門のコーチがいて、アドバイスが受けられる。

「すごく心強いです。上達の手応えも感じていますし、何より、自覚が変わりました。業務時間内に練習していることもあり、勝ちへのこだわりが強くなったと思います」

それまでの小倉選手は勝ち負け以上に、その試合で自分に課した目標──例えば、こういうショットを打とうとか、対戦相手のこのショットを警戒して絶対点を取らせないとか──に対してどこまで自分がやれたのか、これまでの練習が活かせたのか、いわば自分の成長に重きを置いて評価する気持ちが強かったとか。
「今もそういう部分がありますが、でも、東京2020パラリンピックを前に選考基準である世界ランキングは勝敗で決まっていきます。もう、貪欲に勝ちにいこうと決めています」

アスリートとしての自覚が高まることで逆にプライベートでは気持ちの余裕が生まれるのか、子育てにもよい影響を感じるという。家では今、あまりバドミントンの話をしない。

「夫は変わらず応援してくれていると思います。でも、コーチ役を離れましたし、お互いに熱くなりすぎるとぶつかってしまうんです。以前も、体育館に行くまでは和気あいあいとしてたのに、帰りの車中ではみんなシーンとなるようなことが何度かあって(笑)。夫には感謝の気持ちでいっぱいですが、家庭にバドミントンを持ち込まないようにしています」

いつでも当たり前に挑戦する

小倉理恵選手

2019年に世界ランキングを6位にまで上げ、東京2020パラリンピックでメダルを獲る。それが小倉選手が描くロードマップだ。

自他ともに認める強みは、鮮やかなチェアワーク。車いすの操作なら他の選手より早く、巧みに動かす自信がある。それから、パワー。成人までクラッチで歩いてたこともあり、上半身が強い。

一方、課題はラケットワークだ。現状はパワーで押している部分もあり、ショットの細やかさや丁寧さを身につけたいという。例えば、同じところに何回も、どんな姿勢でも入れられるような確実な技術だ。

目標とする選手もいて、大きなモチベーションアップにつながっている。
「今、世界ランキング1位の日本人選手がいるんです。彼女は本当に上手くて、とても大きな壁ですね。パラバドミントンは私の方が先に始めていて、たまたま試合を見に来ていた彼女を私が誘いました。もともと健常者の頃にとても上手くて、じゃあ車椅子でもできるかなって始めたら、もうメキメキ。あっという間に越されてしまって......」

今度は自分が抜き返したい。

「ずっと負け越しているんですが、ランキング1位の方が国内で身近なのはとてもありがたいことです。まずはどうやったら近づけるか、そして、追い越せるか。近年、海外の大会に出場すると、前は勝てなかった選手にどんどん勝てているんです。目標とする彼女はまだ高くて遠い存在ですが、そこを追いかけてるからこそ、世界で勝っていけてるんじゃないかと」

切磋琢磨していきたい。勝ちへのこだわりは日に日に強くなっている。

小倉理恵選手

チームブリヂストンの一員として、メンバーの活躍は大きなモチベーションになるという小倉選手。イベントでもパラリンピックを目指す選手とオリンピックを目指す選手が同じように活動していて、共感を覚えた。

「障がいのあるなしにかかわらず、同じ目的を持って頑張れる。それがチームブリヂストンの強みですね。私は将来、障がいのある人がもっと普通に、当たり前にいられる社会づくりに向けて何かしたいと思っています。とりわけ私の障がいは先天性のものだったからか、幼いころから、学校でも職場でも、他の人と同じようにやるのが当然だと思っていました。挑戦することが怖くないし、失敗を恐れずに挑戦できるような環境にいられたと思います」

とりあえず、やってごらん。小倉選手は自分の子どもによくそう言って、背中をポンと押してやる。チャレンジするのは素敵なことだ。小倉選手は東京2020パラリンピックを目指して闘う己の姿を通して、子どもたちに、そして私たちみんなに、それを伝えようとしている。

小倉理恵選手

PROFILE

小倉理恵

小倉理恵RIE OGURA

1986年埼玉県出身。高校1年のころ、ダイエット目的で通っていたスポーツセンターの仲間に誘われバドミントンを始める。先天的に関節の可動域が少ない「先天性多発症関節拘縮症」で20歳の頃から車いすを使うようになる。23歳のころ、バドミントン仲間から大会でダブルスを組まないかと誘われたのをきっかけに、競技として本格的に取り組むようになる。東京2020パラリンピックでは金メダル獲得を目指す。

    SHARE

    SHARE このページをシェアする

      東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会の公式ウェブサイトです。

      このページの先頭へ