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1988~1992年

第8章 ファイアストン社買収と立て直し

第8章 ファイアストン社買収と立て直し 1988~1992

第1節 ファイアストン社買収

第1話 合併交渉

世界のタイヤ業界の経営環境は、年を追うごとに厳しくなりました。日系自動車メーカーの北米進出に伴う国内新車用タイヤ需要の減少など、当社内でも北米への本格的な進出を望む声が高まっていました。しかし、当社は米国系自動車メーカーへの新車用タイヤの納入実績はなく、米国での市販用タイヤ販売は好調でも、新設工場を採算ラインに乗せるだけの販売力は持っていませんでした。
持ち込まれた買収や提携案件の中で、興味を持てたのはファイアストンだけでした。ファイアストンは北米、中南米、欧州で多くの生産設備を持っており、当社と合わせると無駄のない生産拠点網が実現できると考えられました。
当社は決断の時期に至ったと判断し、1988年1月、「ファイアストンの全世界のタイヤ事業部門を所有し、経営する合弁会社を設立し、株式の過半数を取得したい」と申し入れました。
ファイアストン側からは「合弁事業に関心がある」との回答がありました。タイヤ事業の財務データの送付を受け検討した結果、「全世界のタイヤ事業を対象とした合弁についての交渉を開始する」と家入社長よりネビン会長へ連絡しました。
2月16日、ブリヂストン75%、ファイアストン25%の枠組みを決定し、対外発表をしました。

第2話 ファイアストン社全面買収

家入社長のスピーチ(左はファイアストン社ネビン会長)

3月7日、突然ピレリが、4月1日期限で1株58ドルでのファイアストン株式の公開買付けを実施すると発表しました。米国証券取引委員会に提出された資料から、ピレリ/ミシュラン間で交わされた転売契約(ピレリは買収後、ミシュランにファイアストンの南米機構と米国の自動車サービス・タイヤ小売販売店網「マスターケア」を売却するという契約)の内容が明らかになりました。
当社では、3月14日、対抗オファーを実施することが取締役会で承認され、16日、1株80ドルで応えることを決定しました。これを受け18日、ピレリは買収断念を発表しました。
5月4日、買収を完了してファイアストンは当社の完全子会社となりました。家入社長は「独自の販売網拡大には長い時間と労力がかかり、ファイアストンをピレリに取られたら永久にチャンスを失うと考え、時間を買ったのです」と後に述べています。
1988年4月、GM社は、ファイアストンからの調達を2年以内に打ち切ることを発表しました。

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