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1973~1981年

第6章 創業者の死去と輸出基盤の強化、現地生産の進展

第6章 創業者の死去と輸出基盤の強化、現地生産の進展 1973~1981

第2節 石油危機の到来と軽量タイヤの開発

第1話 石油危機の影響

原材料の逼迫

1973年10月に勃発した第4次中東戦争は、石油危機の発端となりました。アラブ産油国は、石油を政治的武器として使用することを声明し、OAPEC(アラブ石油輸出国機構)は、原油供給量を削減し、価格も約3倍に引き上げました。
当時の通商産業省(現 経済産業省)は、当社を含む大手製造業者に対して、電力、石油製品の使用量を11月20日から12月末までの間、約10%削減するよう行政指導を行いました。また、原材料、燃料の取引先からは当社に対して、ボイラー用重油をはじめ全般にわたって10%前後の供給削減の申し出が相次ぎ、さらに物価統制令発動が噂されると、50%を上回る値上げと、30%程度の供給削減を実施するという申し入れがありました。
原材料、重油、電力などの高騰により、当社を始め同業各社は値上げせざるを得なくなり、1974年1月、市販用タイヤ30%、新車用タイヤ15%の値上げを行いました。
値上げは、原材料の値上がり分を内部努力によって可能な限り吸収した上でのものでしたが、通商産業省より当社は市販用タイヤの値上げに対して自粛を求められ、1974年2月15日より15%の値下げをしております。
1973年12月のOAPEC石油担当相会議は、1974年1月以降の原油供給量削減を緩和し、日本を友好国として削減対象にしないことを決定したため、石油危機はひとまず遠のきました。しかし、原油価格の高騰はその後も続き、当社の1974年上期の原材料価格は前年比1.7倍にも急騰しました。

タイヤ需給の混乱

1972年後半以降、景気の過熱によりタイヤの品不足が続いた中で石油危機が勃発し、先行きの物不足、値上がりの予想が需要を一段と刺激しました。しかも生産面では、重油、電力、原材料などの供給が逼迫し、タイヤ工場では操業短縮による減産を余儀なくされ、品不足は拡大していきました。
タイヤ需給の混乱は市販用、輸出用タイヤだけでは調整がつかないほど大きく、自動車タイヤ協会から自動車工業会に対してスペアタイヤの供給中止を申し入れしたほか、市販用、新車用の白線入りタイヤ(ラインホワイト)の生産も中止しています。
石油危機は、需給ギャップを極端に拡大した後、急激な景気後退を引き起こしました。1974年3月に需給ギャップが解消すると、その後は急激に需要が減少。そのため、タイヤ工場は1974年から1976年まで操業短縮を実施し、需給バランスの安定に努めました。その後も市販用タイヤでは長期低迷が続き、1979年にようやく1973年の販売実績を回復することになりました。

第2話 軽量タイヤの開発

乗用車用ラジアルタイヤの軽量化 - 「RD・108V」の開発

石油危機直後に急減した乗用車用タイヤの需要は1975年に入ると回復し、燃費性、運動性、耐摩耗性などに優れているスチールラジアルタイヤは市販用、新車用ともに需要が増大しました。このようにスチールラジアルタイヤの普及に拍車がかかった要因は、乗用車メーカーがスチールラジアルタイヤの標準装着を決定したことにありますが、新車装着にあたっては、

  1. (1)タイヤ重量の大幅軽減
  2. (2)振動・乗り心地性の改善
  3. (3)摩耗寿命の4万マイル(6万4,000km)保証

などのきびしい条件が求められました。
当社は、既に構造の簡素化、軽量化、日本車に適したスチールラジアルタイヤの完成に向けて研究・開発を進めていましたので、それらの研究成果に基づいてタイヤの形状、材料、構造、パタン、製造方法を一新させ、評価方法も計測データをもとにしたものに代え、乗用車メーカーとの評価法のすり合わせも推進しました。こうして試作と試験を繰り返した結果、カーカスの1プライ化を実現した「RD-108 STEEL(108V)」を完成し、1975年に発売しました。
108Vは、乗用車メーカーの要求を満足させることができ、新車装着にも成功しました。

トラック・バス用ラジアルタイヤの軽量化 - TAF構造の開発

トラックの過積載規制、タイヤ残溝規制など、法規制の強化による車両運行効率の低下を補うため、タイヤの長寿命化、低燃費化、軽量化、更生率を高める要求が強くなってきました。この要求を満たすため、当社は、TAF構造を採用した汎用リブパタンのトラック・バス用ラジアルタイヤ「R220」を1980年に発売しました。TAF構造は、

  1. (1)特殊補強したビード部構造
  2. (2)タイヤに発生するさまざまな応力、歪みを抑える自然形状のケース
  3. (3)特殊配合・高耐疲労性のケース用およびトレッド用ゴム

の3つを主な特徴としていて、タイヤの長寿命化と更生率の向上を図るものでした。

第3話 研究・開発体制の充実と品質保証体制の整備

技術センターの拡充

1962年完成の技術センターは、人員の急増によって手狭になったため、新館を建設することとなりました。着工は1971年、完成したのは1972年です。新館は、スペース難を解消するとともに、機能的なレイアウトや施設によって研究開発の効率化を図ったものでした。

第1期工事完成時のテストコース(現栃木プルービンググラウンド)
タイヤ専用テストコースの開設

1977年10月には、栃木県黒磯市笹沼にわが国最大のタイヤテストコースが完成しました。
それまで当社は、日本自動車試験場(茨城県谷田部町)などの社外施設を借用していたほか、東京工場にスキッドパッドと振動試験路を設置して実車試験を行っていました。
しかし、谷田部コースの利用者が次第に増加してきたことから、本格的なテストコースを建設しようという気運が起こりました。振動乗り心地、騒音評価の特殊試験路に関しては、ベルジアン(石だたみ)路にベルギーで実際に路面として使用されていた石を輸入するなど、さまざまな工夫が施されました。

品質保証体制の整備

品質保証の体系化・体制の充実を図ろうと1965年にタイヤ品質保証部を創設。1966年には、販売会社セールスマンを通じて市場の品質情報を収集する「BTM連絡票制度」を導入しています。
製品企画では技術・生産・販売間の一体化を図り、市場での品質情報を適時、的確に製品企画に生かし、品質・コスト・量の商品評価を統一的に実施するために1966年、「商品企画・評価会議」を設置しました。また工場でも1964年以降、製造工程管理の充実強化を進めました。
タイヤ安全対策にも積極的に取り組み、1970年、担当常務、本部長による「安全対策準備委員会」、社長を委員長とする「タイヤ安全委員会」を発足させました。
1976年には、「PL責任者制度」を発足させ、製造・販売の各ラインに「PL責任者」を任命し、ライン重点のPL責任体制を敷きました。

第4話 環境保全への取り組み

当社は1970年、公害防止活動の推進機関として公害対策委員会を発足させ、1971年には環境管理部を設置しています。小平、久留米には環境分析センターを開設し、各工場の実態を把握し、法令や技術対策の調査に当たるなど、全社的立場から環境対策を推進できるようになりました。
一方、公害防止施設としては高煙突、排煙脱硫装置、汚水処理施設、排水クローズドシステムなどに先行投資して実効を挙げたほか、法令・条例に基づく規制を上回る公害防止協定を地方自治体との間に締結しました。

廃タイヤの処理

当社では廃タイヤを資源として再活用する研究も行っています。タイヤを燃焼させた際の発熱量の大きさに着目し、セメント会社と共同で、廃タイヤをセメント製造工程のキルン(窯)で燃料に用いる技術を確立。この技術は特許を取得し、1979年度のフジサンケイ・グループの環境賞を受賞しました。
1971年からは、使用済タイヤを人工漁礁の素材として利用する技術の研究にも力を入れ、1972年に宮崎県に協力して国内初の大規模なタイヤ漁礁(トラック・バス用タイヤと乗用車用タイヤ1万5,000本を沈めて設営)を同県青島沖に造成しました。