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1988~1992年

第8章 ファイアストン社買収と立て直し

第8章 ファイアストン社買収と立て直し 1988~1992

第4節 BFS再建本格化

第1話 BFSの立て直し

海崎副社長、BFSのCEO就任

1991年3月、海崎副社長はBFSの会長兼CEOに就任しました。3月に出張で現地に赴いた海崎副社長はBFSの状況を見て、4月に次のような報告をしています。

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    BFS経営上のハンディキャップ
    • 巨額の借入金、半分近くの店舗が赤字のマスターケア、合理化の遅れなど。
    • このままでは1992年の黒字化は無理。事実を直視し、再建を進める必要がある。
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    重点実施事項及びブリヂストンへの要望
    • BFSへの明確な方針提示と人事評価制度の見直し。
    • 日本の職能からのBFSへの直接の指示はなくし、海崎CEOへ一本化する、など。

当社は、買収時にファイアストンに負担させてきた借入金に相当する14億ドルをBFSの増資という形で支援し、BFSは借入金・利子負担を半減させることができました。 当社は、この資金を外部調達に依らざるを得ず、借入金は約3,000億円と膨らみ、「超優良企業」にはほど遠い財務構造となりました。

BFS基本方針

1991年4月、海崎副社長はアクロンに赴任し、5月に基本方針を明らかにしています。

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    方針策定の考え方
    • BFSの赤字の背景には過剰設備投資、ブリヂストンの各職能からの統一を欠いたアドバイスなど、親会社を含め間違っていたことが多々あった。過去の問題を洗い出し、解決していく。
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    CEO基本方針
    • コスト改善の徹底推進。
    • 販売力の強化と販売量の増大、など。

BFSは、1992年3月、ナッシュビルの新本社へ移転し、業務の合理化、組織の簡素化ができました。この年、間接・直接部門合わせて約2500人の人員整理を行っています。

ファイアストンの自動車サービス・タイヤ小売店網「マスターケア」
自動車サービス・タイヤ小売販売店網「マスターケア」の再建

「マスターケア」では、経営陣を入れ替え、日本の市販用販売のノウハウを持った日本からの派遣者とのコンビで再建を進めました。
方針の明確化、組織階層の半減、権限委譲などを行い、個人の評価と会社の利益を連動させたインセンティブプログラムをつくりました。不採算店を分析した結果、人材の問題に行き着き、店長を大幅に入れ替え、「人づくり、店づくり、客づくり」の基本を実施しました。利益率のよいカーサービスも重視しながら、顧客の再来店頻度を上げ、1991年には事業全体で営業黒字化を達成しました。

北米タイヤ事業のブランド別販売から品種別販売への転換

BSUSとBFS双方を機能別に統合した新運営組織が、1991年にスタートしました。この体制は、それまでのブリヂストン/ファイアストン双方のブランドを別々の組織で販売してきたものを、両ブランドの販売責任を一人が負うことにしました。しかし、この統合の時点では、販売の切り口はブランド別であり、責任者は一人でも組織は別々で互いが食い合う状態が続いていました。
1992年、販売の切り口を消費財、生産財に分けることで、ブランド同士の競合関係が解消できました。この時に採用したマルチブランド戦略は消費財の販売全体に展開しました。

TBR拡販の努力

1990年、ウォーレン工場でTBRの量産が始まりました。ブリヂストンのシェアは市販用・新車用ともに15%を占め、高評価を確立していましたが、ラバーン、ウォーレンのTBR工場をフルに稼働しコストを改善するため、拡販が至上命題でした。
1990年、超大手運送会社のライダー社と5年間の長期契約を、1991年には全米第2位の大型トラックメーカーのパッカー社と3年間の標準装着契約を結ぶことができました。

GM納入復活

1988年にGMへの納入を断られて以来、復帰に向けた提案はすべて受け入れられていませんでした。デトロイトでGMとの商談が再開されたのは1992年のことです。日米欧の直需関係者が密接に連携することで、1993年7月、GMへの再参入を実現しました。

21の分社化体制

1992年、21の分社化が始まりました。事業のくくりごとに20の事業会社と1つのサービス会社に分け、各々の事業の経営状態がよく把握できるようにし、米国人に方針をはっきりと出し、責任を持たせた上で経営を任せました。各社の管理目標は「予算の達成」としました。各社長はCEO方針に基づき自社方針を決定し、実施計画に落とし込み、毎月CEOへの報告会議でチェック、フォローを行いました。
コスト改善と拡販の結果、1992年下期は6百万ドルの黒字を計上しました。黒字化の目標が、半期といえども初めての達成となりました。1993年には年間黒字化を達成しています。

第2話 FS欧州事業の立て直し

FS欧州事業の問題点

ファイアストンはスペインの市販用販売では利益を上げていましたが、他地域では低価格の一括大量販売をしており、ファイアストン品には安物イメージがつきまとっていました。直需のシェアは約8%ありましたが、評価基準が販売本数のみであり、利益責任がなかったため、汎用タイヤを安値販売しており、採算が悪いものでした。
ローマの技術センターで設計される製品は性能が劣り、開発・製造の設備も貧弱なものであり、投資が必要と考えられました。

BFEの設立

ブリヂストン/ファイアストンのすべての子会社を統括、管理するために、1990年、ブリヂストン/ファイアストン ヨーロッパ エス エー(BFE)をブリュッセルに設立しました。BFEは、同一国内のブリヂストンとファイアストンの販売会社を統合していきました。

生産部門のリストラクチャリング

スペイン、イタリア、フランス、ポルトガルの製造子会社は、国ごとに会社が独立しているためライバル関係にあり、それぞれの国の需要をカバーできるように各社で多品種の製品を作っていました。そのため量の拡大によるメリットも追求できず、品質管理も行き渡らない状況でした。そこで「地域最適」生産から、「全欧最適」生産を目的に工場の再編を行いました。

1992年BFE年間黒字化の達成

ブリヂストンブランド品の生産をブルゴス、ベチューン、ビルバオ、バリ工場で開始しました。
併行して新製品の集中的な開発、自動車メーカーの承認取得活動を進めました。当社の技術を導入したファイアストンブランドの新製品の市場評価は高いものでした。自動車メーカーの承認取得では「付加価値の高い高性能タイヤの割合を50%まで高める」ということにしました。
新たに開発された新製品が現地生産され、販売も軌道に乗り、生産量が上がることでコストを改善することもでき、利益を生み出すことに貢献しました。その結果、1992年には年間黒字化を達成しています。