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1981~1987年

第7章 米国での現地生産開始、多角化の進展

第7章 米国での現地生産開始、多角化の進展 1981~1987

第6節 タイヤ事業の国際化の進展

第1話 米国現地法人の経営

米国ブリヂストンの誕生とテネシー工場でのPSRの生産開始

ブリヂストンタイヤ・マニュファクチャリングUSA(BSTN)は、1986年に製販統合のため販売会社のブリヂストン アメリカ(BSAM)を吸収合併して、米国ブリヂストン(BSUS)が誕生しました。
1987年、日本の自動車メーカーの現地生産化の進展に対応するため、ブリヂストンブランドのPSR(乗用車用ラジアルタイヤ)を米国で生産することを決定しました。「更地での生産」「既存工場の買収」「現テネシー工場での生産」といった選択肢がありましたが、場所、生産規模、投資採算から見て、テネシー工場での拡張が最も効率的かつ現実的であると考えられました。こうして1988年、当社にとって初めての北米でのPSR生産が開始されました。

第2話 ポルシェアプローチ活動による欧州でのブランド戦略

ポルシェ社からの招聘

1982年、技術センターのPS(乗用車用タイヤ)開発部は、国内市販用タイヤ市場のヤングマニア層攻略の一環としてポルシェ車に装着でき、ポテンザブランドの頂点に相応しい「ポテンザRE91」を開発しました。しかし、ポルシェ車用と称するには、同社の車への装着承認を得ることが重要な課題となりました。
この自主開発された「RE91」の評判はポルシェ社にも伝わり、1983年にポルシェ社からの招聘を受けて、初めて当社の開発担当者が同社を訪問しました。この訪問で当社の技術力は高く評価され、正式にポルシェ車用タイヤの開発要請を受けることになりました。

ポテンザのパンフレット表紙
PA委員会発足と「ポテンザRE71」の承認獲得

1984年、PA(ポルシェアプローチ)委員会が発足しました。委員会の目的は、当社製品のポルシェ装着によるイメージアップ、高性能タイヤの開発による技術力の極限までの向上、海外自動車メーカーへの納入ノウハウ獲得にありました。
技術陣はポルシェとの共同テストを積み重ね、1985年「ポテンザRE71」の3サイズが、複数車種の技術承認を得ることができました。
販売部門では、ポルシェの承認が欧州での販売戦略のキーになると同時に、また高性能タイヤの販売の伸びと知名度向上がポルシェの継続的な承認と納入に不可欠と考え、「ポテンザRE91」をベースにした「RD‐91」の上市、世界のポルシェクラブやチューナーへのアプローチ、フランクフルトオートショーへの出展、当社製品取扱店数の拡大などの拡売施策を次々と実施しました。
この結果、当社はポルシェから信頼を得ることができ、歴史的にポルシェと関係の深いアウディに対しても技術部門からのアプローチを行い、1986年に「アウディ100」、「200ターボクワトロ」などの承認を取得することができました。

「ポテンザRE71」が「ポルシェ959」に標準装着

ポルシェ社が開発を行っていた「ポルシェ959」は、時速300kmを超えるスポーツカーで、タイヤは走行性能とともに、高速のランフラット性能を求められました。要求性能が非常に高いため、開発に参加するタイヤメーカーは当社ともう1社に厳選されました。ランフラット性能、高速性能、操縦安定性、フィーリングを満たす開発は困難なものでしたが、着手してから1年後の1986年に技術承認を取得できました。当社がほとんど100%を納入することになり、ポルシェに対する初のライン納入となりました。
しかし、当時は珍しかった偏平率45、40シリーズ、且つ超高性能のタイヤを量産することは大変難しいことでした。これらのタイヤはPA委員会の文字を取り、「PAサイズタイヤ」として管理され、タイヤ成型者もPAというバッジを付けた人だけで生産されました。
欧米での当社の知名度は低かったため、ポルシェの量販車種のレギュラーサプライヤーになれない状態がしばらく続きましたが、知名度向上の施策やポルシェ車オーナーへのアプローチといった努力の結果、1987年には一定の納入シェアを持つ供給メーカーとなりました。