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1992~2000年

第9章 優良企業への復帰とグローバル化の推進、そしてBFS自主回収問題

第9章 優良企業への復帰とグローバル化の推進、そしてBFS自主回収問題 1992~2000

第3節 世界各地域のタイヤ事業の動向

第1話 米州

インディー再参戦

ファイアストンブランドの価値向上と拡販支援を目的として、1995年からIndy 500 Miles Raceに代表されるインディーシリーズに参入することが、1993年に決定されました。このインディー500は、米国インディアナ州の首都インディアナポリスで、毎年40万人もの観客を集めるアメリカ人に人気の高いカーレースのひとつです。
参戦初年度から好成績を収め、インディー500ではあと一息で優勝というところまで迫りました。翌1996年からはライバルを圧倒し、チャンピオンを獲得し続けました。
このインディー500での成果により、「高品質の米国のファイアストンブランド、カムバック!」というマーケティング戦略や "Win on Sunday, Sell on Monday" (日曜日にレースに勝利し、月曜日にタイヤを売る)というスローガンが功を奏し、販売は驚異的に伸びました。
こうした展開によりBFSの社員は自信を取り戻し、ディーラーの多くの人たちも「ファイアストンブランド」に対する信頼を回復しました。

米国での販売動向とエイケン工場の建設

BFSは積極的なチャネル戦略、マルチブランド戦略を展開した結果、1999年には、BFS商品の店内シェアの高い販売店は、米国国内で約4,000店に増加しました。
生産拠点の拡充のため、サウスカロライナ州に新工場を建設することになり、エイケン工場が建設され、1999年4月より量産を開始しました。
エイケン工場には、旧ファイアストンの流れをくむ製造技術を生かした新生産システムが配備され、日本で実績のある設備と得意な生産方式で運営されることとなりました。

第2話 欧州

BFEの拡充

当社は、それまでコーディネーションセンターとして位置付けていたBFEを、販売、物流、持株機能を保有する欧州統括会社としました。
BFEは、独立系ディーラーに対し、当社の販売促進のノウハウを提供し、それに対応して店内シェアを上げる「ロイヤルディーラープログラム」を開始しました。このプログラムは、1996年に英国で「ファーストストップ」という名称でスタートし、以降全欧で展開されました。
1993年には、PSRのマルチブランド戦略を開始しました。「ブリヂストン」を最上級、その下に「ファイアストン」、更に「デイトン」「ヨーロッパ」といったハウスブランドをエコノミーブランドとして位置付け、必要に応じてプライベートブランドを供給し、複数のブランドで市場を攻略する戦略を展開し、市場から大いに歓迎されました。
新車用タイヤの分野では、GM社、フォード社、フォルクスワーゲン社、フィアット社への納入量が飛躍的に増大しました。更に、BMW社、ダイムラー=ベンツ社、すべての西ヨーロッパの日系自動車メーカーにも納入することができるようになりました。
こうした努力によって、当社品に対する需要が伸び、生産量が不足し始めたため、工場の操業日数を増やして生産量を拡大、コストも下げることができました。

ポズナン工場から第1号タイヤを出荷
ポーランド工場の建設

BFEは5工場を統括していましたが、いずれも西ヨーロッパにあり製造コストが高かったため、1998年、東ヨーロッパに生産拠点を設けることを決定しました。
1998年、ポーランド・ポズナン市に「ブリヂストン/ファイアストン ポーランド リミテッド ライアビリティー カンパニー」を設立し、ポズナン工場の建設を開始、2000年にはポズナン工場で量産と出荷を開始しました。それにより、東ヨーロッパ諸国のみならず、ヨーロッパ全域に向けて市販用、新車用タイヤの供給が可能になりました。

第3話 中近東、ロシア

ブリサ ブリヂストン サバンジ(BRBS)

当社は、トルコ・サバンジ財閥との合弁会社「ブリサ ブリヂストン サバンジ社」(以下、BRBS)で中近東向けタイヤの委託生産を行っていましたが、コストアップや販売不振、需要の減少のため、1992年、委託生産に対する当社の採算は大幅な赤字となりました。こうした状況を打開するため、翌年に委託契約改定のための交渉を開始し、粘り強い交渉の結果、採算はかなり改善されました。
1994年、トルコは経済危機に陥り、BRBSは経営危機に直面しました。BRBSは、サバンジと当社からの増資や、採算の高いトルコ国内販売を強化したことにより、大幅なシェアアップに成功し、業績は飛躍的に改善されました。
また、地道にTQM(Total Quality Management:総合的品質経営)活動に取り組んできたBRBSは、1993年にトルコの品質管理大賞「National Quality Award」を受賞し、1996年にはトルコ史上初めて欧州企業を差し置いて「European Quality Award」を受賞しました。もはやBRBSは、トルコを代表する企業に成長しました。

ロシアでの販売網設立

1995年、当社は「ロシア市場への積極的な参入」を掲げ、マスコミを使いブランドの知名度を向上させながら、積極的な販売を開始しました。
1998年、販売会社「ブリヂストン シーアイエス エルエルシー」を設立、直営小売店網の1号店「Pole Position(ポールポジション)」を開店し、チェーン展開していきました。

第4話 アジア・大洋州

タイ ブリヂストン(TBSC)

1991年、需要増大に対する販売体制を確立するため、販売会社「ブリヂストン セールス タイランド社」を設立しました。
1992年、TBSCはノンケーに第2工場を設立することを決め、1995年、同工場で量産を開始しました。ノンケー工場は雨季の水害と暑気対策のために高床式構造を採用しており、その構造は後に建設する工場のモデルとなりました。同年には、ISO9002の認証も取得しました。また、1996年にはノンケー工場の敷地内にタイ最大規模のプルービンググラウンドを新設しました。

ブリヂストンタイヤインドネシア(BSIN)

1991年、インドネシアの景気は低迷していましたが、BSINは将来を見据え、工場の拡張や物流センターの建設、販売チャネルの強化を行い、順調にシェアを伸ばしました。1994年、ブカシ工場の製造ラインを増設したことにより輸出が拡大しました。更に翌1995年、ISO9002の認定を受けました。
1996年、外貨持株比率規制の撤廃により、当社はBSINの持株比率を51%に引き上げ、連結対象子会社としました。
同年、当社はインドネシア第2の工場としてカラワン工場の建設を開始しました。経済混乱のため一時工事が中断しましたが、1999年に量産を開始しました。

ブリヂストン台湾(BSFC)

台湾は1990年台前半、保護市場から自由市場へと大きく転換しました。BSFCはそれに対し、工場や品種の統廃合、合理化、販売チャネルの拡大、販売会社の統合などを推進してきました。1992年、「タイヤ館」第1号店を開店し、年々その数を伸ばしました。これらの施策により、国内シェアナンバーワンの地位を確実なものにしました。

ブリヂストンオーストラリア(BSAL)

1990年から91年にかけて、オーストラリア経済は低成長となりましたが、BSALは、操業率の上昇やスリム化により、1992年からは黒字に転換しました。
生産性の向上やコスト改善が進み、クレーム率も減少、1996年以降、品質の優秀性が認められ、自動車メーカーへの納入シェアが増大しました。

第5話 残された大市場でのタイヤ事業の展開

インドのモデルショップ「タイヤプラザ」
インド市場への進出

1991年、インド政府は、閉鎖経済を改め、開放経済に切り替えました。これを契機に日韓欧米のグローバル自動車メーカーが次々とインド進出を表明し、1995年から生産を開始しました。当社も合弁で新会社「ブリヂストン エイ シー シー インド社」(以下、BAIL)を設立し、1996年にはインド工場の建設を開始、1998年には量産を開始しました。
企業告知戦略や代理店網の設置と拡大、当社からの輸入品の先行販売による知名度向上が功を奏し、インド工場で製造されたタイヤの市場投入初年度から、PSRのNo.1サプライヤーの地位を確立しました。モデルショップ「タイヤプラザ」も開設、有力新商品の投入もあり、販売は急速に伸張していきました。

中国市場の拡大と現地生産の開始

当社は中国市場に再参入することになりました。1993年、広東省・広州に駐在員を置き、代理店を設置しました。同時にPSRの販売網を設置していき、1997年頃には中国のほぼ全省を網羅する販売網を築きました。この間、大型ネオン看板や小売店看板の設置、モーターショー出展などの販売促進策により、「普利司通(ブリヂストン)」ブランドの浸透を図りました。
1995年頃から、輸入許可証の発給量が減少する見通しとなったことから、当社は中国現地生産を進めることとしました。
1999年、瀋陽市でTBタイヤを製造、販売していた「瀋陽三泰輪胎有限公司」(SYS)の経営権を取得し、2000年より生産、販売を開始しました。生産量の拡大、コスト改善活動の推進などにより業績は黒字に転じ、2000年には社名を「普利司通(瀋陽)輪胎有限公司」(BSSY)に変更しました。
続いて2000年には、韓国の錦湖(クムホ)グループより、天津市でPSR及びLVR(小型トラック用ラジアルタイヤ)の製造、販売をしていた「天津錦湖輪胎有限公司」の経営権を取得しました。PSR市場でも生産・販売拠点を確保し、今後の需要拡大が予想される中国市場で拡販を図る足場を築きました。同社は社名を「普利司通(天津)輪胎有限公司」(BSTJ)に変更しました。