2輪オンロードレース専用タイヤ(ドライスリック、ウェット、レーシングミニ)及びレース向けタイヤ(R10EVO、R10、BT-601SS)に関する詳細についてのお問い合わせ先は下記をご覧下さい。

2輪オンロードレース専用タイヤ及びレース向けタイヤ お問い合わせはこちら

商品のお求めとお問い合わせはお近くのブリヂストンタイヤ取り扱い販売店へお願いいたします。
各店舗の詳細は、下記、地域一覧からご覧いただけます。

2輪オンロードレース専用タイヤ(ドライスリック、ウェット、レーシングミニ)及びレース向けタイヤ(R10EVO、R10、BT-601SS)に関する詳細についてのお問い合わせ先は下記をご覧下さい。

2輪オンロードレース専用タイヤ及びレース向けタイヤ お問い合わせはこちら

☓ 閉じる

2輪オンロードレース専用タイヤ(ドライスリック、ウェット、レーシングミニ)及びレース向けタイヤ(R10EVO、R10、BT-601SS)に関する詳細についてのお問い合わせ先は下記をご覧下さい。

2輪オンロードレース専用タイヤ及びレース向けタイヤ お問い合わせはこちら

☓ 閉じる

2輪オンロードレース専用タイヤ(ドライスリック、ウェット、レーシングミニ)及びレース向けタイヤ(R10EVO、R10、BT-601SS)に関する詳細についてのお問い合わせ先は下記をご覧下さい。

2輪オンロードレース専用タイヤ及びレース向けタイヤ お問い合わせはこちら

2輪オンロードレース専用タイヤ(ドライスリック、ウェット、レーシングミニ)及びレース向けタイヤ(R10EVO、R10、BT-601SS)に関する詳細についてのお問い合わせ先は下記をご覧下さい。

2輪オンロードレース専用タイヤ及びレース向けタイヤ お問い合わせはこちら

2輪オンロードレース専用タイヤ(ドライスリック、ウェット、レーシングミニ)及びレース向けタイヤ(R10EVO、R10、BT-601SS)に関する詳細についてのお問い合わせ先は下記をご覧下さい。

2輪オンロードレース専用タイヤ及びレース向けタイヤ お問い合わせはこちら

2輪オンロードレース専用タイヤ(ドライスリック、ウェット、レーシングミニ)及びレース向けタイヤ(R10EVO、R10、BT-601SS)に関する詳細についてのお問い合わせ先は下記をご覧下さい。

2輪オンロードレース専用タイヤ及びレース向けタイヤ お問い合わせはこちら

2輪オンロードレース専用タイヤ(ドライスリック、ウェット、レーシングミニ)及びレース向けタイヤ(R10EVO、R10、BT-601SS)に関する詳細についてのお問い合わせ先は下記をご覧下さい。

2輪オンロードレース専用タイヤ及び
レース向けタイヤ お問い合わせはこちら

2輪オンロードレース専用タイヤ(ドライスリック、ウェット、レーシングミニ)及びレース向けタイヤ(R10EVO、R10、BT-601SS)に関する詳細についてのお問い合わせ先は下記をご覧下さい。

2輪オンロードレース専用タイヤ及び
レース向けタイヤ お問い合わせはこちら

2輪オンロードレース専用タイヤ(ドライスリック、ウェット、レーシングミニ)及びレース向けタイヤ(R10EVO、R10、BT-601SS)に関する詳細についてのお問い合わせ先は下記をご覧下さい。

2輪オンロードレース専用タイヤ及び
レース向けタイヤ お問い合わせはこちら

山田宏の「2016鈴鹿8耐ここが見所!!」 Vol.2 「鈴鹿8耐-10連覇の軌跡」

7月31日(日)に決勝を迎える「2016 FIM世界耐久選手権シリーズ第3戦 "コカ・コーラ ゼロ"鈴鹿8時間耐久ロードレース」に向けて「ブリヂストンのモータースポーツ若大将」山田宏が、皆さまの観戦がもっともっと楽しくなる「見どころ」情報を連載記事として紹介します。

第2回目はブリヂストンが鈴鹿8耐で達成した10連覇の軌跡についておおいに語ってもらいます!



1. 8耐参戦の歴史~創生期、参戦開始
ブリヂストンとして、8耐に参戦を開始したのは1987年です。

この頃から90年代にかけて、各メーカーがワークスとして力を入れていたのですが、ブリヂストンとしてはプライベートチームにしかタイヤ供給をしていなかったので、表彰台は遠い存在でした。



2.上位進出~準備期、ポールポジションや表彰台獲得
その後2002年からMotoGP™に参戦を開始し、大排気量のタイヤ性能が飛躍的に向上し、全日本ロードでSBクラスからJSB1000クラスに変わった2003年から、徐々に成績が良くなり、JSBでは2005年に伊藤選手がタイトルを取ってくれました。以下8耐でのブリヂストン装着チームの成績を振り返ってみましょう。

2003年にMotoGP™のタイヤ開発をしてくれていた伊藤選手がTSRに入り、前年までヤマハワークスで走っていた辻村選手と組んで、ポールポジションを獲得。レースではトラブルで一時大きく遅れながら3位表彰台を獲得しました。

2004年には、その伊藤選手(TSR)が再びポールポジションを獲得するも、レースでは辻村選手が転倒してしまい、代わってDD BOYSの浜口、森脇組が3位入賞。

2005年の8耐では、TSR(伊藤、辻村組)がポールポジションを獲得するも、レースではトラブルで後退、代わってハルクプロ(青木治親、安田組)が3位表彰台を獲得しました。

3年続けてポールポジションと3位獲得となりましたが、3位から2位、2位から優勝へのハードルの高さを思い知りました。



3.初優勝!そして連覇開始
2006年 [初優勝]

そして2006年にやっと来ました!
予選のトップ10トライアルでは、伊藤選手(F.C.C.TSR ZIP-FM Racing Team)がブリヂストンで4年連続のポールポジション獲得。

そのF.C.C.TSR(伊藤、辻村組)は1時間目からトップを走り、安定した走りで首位を譲る事なく見事に優勝!

2位にTOY STORY RT RUN'A&HARC-PRO(小西、安田組)、3位にヨシムラスズキwith JOMO(青木宣篤、渡辺組)が入り、ブリヂストン装着チームは初優勝にして表彰台独占という快挙を達成!

2007年 [2連覇]

2007年にはヨシムラスズキwith JOMO34(加賀山、秋吉組)が序盤から速いペースでトップに立つと、終始安定した走りで、2位に2分の差を付けて優勝!ヨシムラに27年ぶり、3度目の優勝をもたらした。

2位にチームTEAM HRC 33(岡田、C.チェカ組、Mi使用)の後、F.C.C.TSR ZIP-FM Racing Team(伊藤、手島組)が3位に入り、ブリヂストン勢は1-3位となった。

2008年 [3連覇]

2008年には、HRCワークスチームからサポート要請があり、DREAM Honda Racing Team11清成、C.チェカにタイヤ供給した。

予選ではF.C.C.TSR Honda 伊藤選手が、ブリヂストンで5度目のポールポジションを獲得。

レースは序盤から清成、C.チェカ組がリードするが、スタートから2時間半程で激しい雨となり、その間にヨシムラスズキwith JOMOの加賀山選手がハイペースでトップに浮上!しかしその直後に転倒してしまう。

上位陣が不安定な天候で転倒するなか、安定した走りの清成、C.チェカ組が優勝。
2位にヨシムラスズキwithデンソーの酒井、渡辺組、3位にはハルクプロの小西、高橋組が入り、ブリヂストン勢にとって2度目の表彰台独占で3連覇を果たした。

2009年 [4連覇]

2009年はポールポジションを獲得した秋吉選手(F.C.C.TSR Honda)がスタートでトップを走るが転倒。

その後ヨシムラスズキwith JOMOの酒井選手とMuSASHi RTハルク・プロの山口選手がトップ争いをするも、周回遅れの転倒に巻き込まれ山口が転倒!

その後何度も降る激しい雨でセーフティーカーが4回入る展開となったが、ヨシムラスズキ(酒井、徳留、青木組)が安定した走りで優勝。雨の中非常に速いペースを見せたトリックスター(井筒、武石、鶴田組)が2位に入った。

2010年 [5連覇]

2010年はポールポジションのヨシムラスズキwith ENEOS(酒井、青木、加賀山組)とMuSASHi RT ハルク・プロ(清成、中上、高橋組)が、中盤まで激しいトップ争いを繰り広げたが、酒井の転倒でハルクプロがリードを広げ、終盤予定外のピットインを行うものの優勝。2位にはKEIHIN KoharaR.T.(伊藤、玉田組)、3位にF.C.C.TSR Honda(秋吉、J.レイ、高橋裕紀組)が入り、ブリヂストン勢は表彰台と上位7位までを独占するという、最高の結果となった。  

2011年 [6連覇]

2011年はポールポジションのヨシムラスズキR.T.(加賀山、J.ウォータース、青木組)とF.C.C.TSR Honda(秋吉、伊藤、清成組)、MuSASHi RT ハルク・プロ(高橋、玉田、岡田組)の3チームが最後までデッドヒートを繰り広げる。

TSRはスタートライダーの清成が、トップを走るが17周目に転倒!しかしすぐに再スタートして、再びトップに返り咲きトップ3チームが同時にピットイン。

途中TSRは清成の転倒で折れたシフトペダルの交換を行った為、若干遅れるもののその後驚異的なペースで追い上げ、終盤にトップに立つとヨシムラに20秒の差を付けて優勝。

上位3チームが217周という最多周回数の記録を作り、ブリヂストン勢として4度目の表彰台独占を達成。この最多周回数の記録は現在も破られていない

2012年 [7連覇]

2012年。2スティント目に秋吉選手(F.C.C.TSR Honda)がトップに立つと、J.レイ選手と安定した走りでトップを快走。

一方5時間までトップ争いをしたMuSASHi RT ハルク・プロは、清成選手が転倒しマシンが炎上してしまい、ヨシムラスズキ(青木、L.キャミア、J.ウォーターズ組)は、中盤でマシントラブルのため脱落。 F.C.C.TSRが大差を付けて2年連続3度目の優勝を飾った。

2位には確実に走ったTOHO Racing with MORIWAKI(山口、高橋、手島組)が入った。

2013年 [8連覇]

2013年。序盤F.C.C.TSR Honda(J.レイ、清成組)、MuSASHi RT ハルク・プロ(高橋、L.ハスラム、M.V.D.マーク組)、ヨシムラスズキRT(津田、青木、J.ブルックス組)の3チームがトップ争いをするが、 3スティント目にトップの清成選手(TSR)が転倒。

4スティント目にはヨシムラのJ.ブルックス選手が転倒。すぐに再スタートするものの遅れてしまう。

最後30分で雨に見舞われるものの、ハルク・プロはノントラブルで走り切り優勝。ヨシムラが3チームの争いを制して2位獲得となった。

2014年 [9連覇]

2014年は、スタートから雨に見舞われスタートが延期され、レース時間が7時間弱に短縮されたレースとなった。

スタート後は天候も回復し、路面が徐々にドライになると再び雨が降るという不安定なコンディションの中、F.C.C.TSR Honda(秋吉、J.レイ、L.ザネッティ組)が圧倒的な速さを見せ、 スタートして3時間後には全チームを周回遅れにしたものの、4時間半を経過した所で、秋吉選手がまさかの転倒!

その後トップに浮上したMuSASHi RT ハルク・プロ(高橋、L.ハスラム、M.V.D.マーク組)が、何度もセーフティーカーが入る荒れたレースを制し優勝。

2年連続同一チーム、同一ライダーでの優勝という記録を打ち立てました。2位には1分差でヨシムラスズキRT(津田、J.ウォーター、R.デュプニエ組)が入りました。

2015年 [10連覇]

2015年はヤマハとしてファクトリーの復活、現役MotoGP™ライダー2名の起用や、ホンダはC.ストーナーの起用など、非常に話題となった大会であったが、そのヤマハファクトリーR.T.(中須賀、P.エスパルガロ、B.スミス組)が、P.エスパルガロが予選で脅威的なタイムでポールポジションを獲得。

レースでは序盤トップに立ったC.ストーナー(MuSASHi RT ハルク・プロ)が、マシントラブルによる転倒で戦列を離れる。第2スティントからトップに立ったヤマハファクトリーR.T.が、その後6回もセーフティーカーが入る展開にも、ミス無く安定した走りで、2位F.C.C.TSR Honda(J.フック、K.スミス、D.エガーター組)に77秒の差を付け優勝。
ヤマハに19年振りの8耐優勝をもたらした。

ブリヂストンユーザーは、2006年から2015年まで8耐10連覇を続けているが、チーム毎の優勝数でいうと、F.C.C.TSR HondaとMuSASHi RT ハルク・プロが3勝ずつ、ヨシムラスズキが2勝、ヤマハファクトリーR.T.とHRCファクトリー(チーム名はDREAM Honda Racing Team 11)が1勝となっている。

またこの10年での表彰台獲得数は24!実に80%の表彰台獲得率で表彰台独占が4回あるのです。

何があるか分からない8耐で、この素晴らしい記録を作れたのも、多くの強いチームが支えてくれているからに他なりません!

我々はサポートチームの足元をしっかりと支え、チームと一丸となってこの記録を更新して行きたいと思います。(文:山田宏)

山田 宏 (やまだ ひろし)
株式会社ブリヂストン
Jリージョンモータースポーツ推進ユニット 課長

1980年にブリヂストン入社。東京、小平にある技術センターでタイヤの性能を評価する試験部に配属される。
1990年に2輪ロードレース部門が強化されたときに異動し、全日本選手権の開発者となる。
1991年、開発者として世界GPに派遣される。
1992年より本社へ異動し、2015年まで世界GPのレース活動を担当。
また、趣味の枠を超えた「料理研究家」として、レースやイベントなどで手料理を振る舞っていることでも有名。

バックナンバー